浅間寺とは? わかりやすく解説

浅間寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 15:15 UTC 版)

浅間寺
所在地 兵庫県養父市八鹿町浅間588
位置 北緯35度26分41.2秒 東経134度48分14.6秒 / 北緯35.444778度 東経134.804056度 / 35.444778; 134.804056座標: 北緯35度26分41.2秒 東経134度48分14.6秒 / 北緯35.444778度 東経134.804056度 / 35.444778; 134.804056
山号 須留岐山
宗派 真言宗
創建年 天平2年(730年
開基 行基
浅間寺
浅間寺 (兵庫県)
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浅間寺(せんげんじ)は、兵庫県養父市八鹿町浅間にある真言宗寺院

歴史

浅間寺は須留岐山の南麓にあり往古は法曹宗であったが、後世に真言宗に転じ、高野派に属したとされる。もともとは須留岐山の中腹にかけて30余坊を有していたが、997年(長徳3年)の大火で僧坊のほとんどを焼失してしまったと記されている。戦国時代には武将である山名氏政から浅間寺に対し、課税を免除する代わりに須留岐山城を守るように命令したとある。[1]1691年(元禄4年)には薬師堂が建てられ、かえるまたと呼ばれる部分に二十四孝という中国の忠孝故事を伝える彫刻が彫られている。

文化財

  • 県指定 薬師如来坐像
  • 市指定 十二神将立像

脚注

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  1. ^ 『養父市まちの文化財』養父市教育委員会、2011年、198頁。 

浅間寺(せんげんじ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 09:06 UTC 版)

暁の暴君」の記事における「浅間寺(せんげんじ)」の解説

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