法蓮寺 (品川区)とは? わかりやすく解説

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法蓮寺 (品川区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/22 22:24 UTC 版)

法蓮寺 ほうれんじ
所在地 東京都品川区旗の台3-6-18[1]
位置 北緯35度36分15.4秒 東経139度42分29.4秒 / 北緯35.604278度 東経139.708167度 / 35.604278; 139.708167座標: 北緯35度36分15.4秒 東経139度42分29.4秒 / 北緯35.604278度 東経139.708167度 / 35.604278; 139.708167
山号 八幡山[2]
宗派 日蓮宗[1]
創建年 文永年間[1]
開基 朗慶[2]
正式名 八幡山法蓮寺
札所等 荏原七福神 恵比寿[1]
公式サイト 日蓮宗 八幡山法蓮寺
法人番号 1010705000227
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法蓮寺(ほうれんじ)は、東京都品川区旗の台3丁目にある寺院。旧本山は大本山池上本門寺中道不二庵法類・中延法縁縁頭寺。

歴史

文永年間に当地を治めていた荏原義宗(源義家の末裔といわれている)が篤く日蓮宗に帰依し、息子である徳次郎を、日蓮の高弟・日朗の弟子とさせた。徳次郎は後に朗慶上人となり、荏原氏の館跡に法蓮寺を開山した。法蓮寺は隣接する旗岡八幡神社別当寺になった。江戸時代になると、旗岡八幡宮は二代将軍・徳川秀忠の祈願所となり、また39世代住職・日詮は江戸城大奥でも人気の僧であった。荏原七福神のひとつ恵比寿神を祀っている[1]

天保年間に斎藤月岑が描いた江戸名所図会にも中延八幡宮・法連寺としてその俯瞰図が描かれている[3][4]

施設・史跡

もともとの建造物は1945年戦災で焼け、現存するのは戦後再建されたもの[3]

  • 本堂
  • 恵比寿堂

アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f しながわ観光協会.
  2. ^ a b 新編武蔵風土記稿 中延村.
  3. ^ a b 平野栄治著「品川区歴史散歩」p.156
  4. ^ 江戸名所図会.

参考文献

  • 平野栄治著「品川区歴史散歩」学生社 1993年発行
  • 「中延村 八幡社別当法蓮寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ46荏原郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763981/89 
  • 法蓮寺”. しながわ観光協会. 2020年12月5日閲覧。
  • 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 中延八幡宮」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、418,419頁。NDLJP:1174130/215 

関連項目

外部リンク




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