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河丙鈺

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 14:54 UTC 版)

河 丙鈺(ハ・ビョンオク、하 병옥1935年9月15日 - 2021年10月7日)は、元在日本大韓民国民団団長。カワミ商会株式会社代表取締役会長、大塚北口総合病院理事長。 

略歴

本籍は、慶南晋陽郡大谷面丹牧。

  • 1954年 - 慶南晋州農林高等学校卒業
  • 1954年頃 - 19歳で日本に密航。
  • 1954年 - 法政大学に入学
  • 1956年 - 法政大学を中退、朝鮮大学校に一期生として入学
  • 1958年 - 朝鮮学校にて国語教師
  • 1963年 - 朝鮮新報に入社、その後「朝鮮通信」に移った。
  • 1967年 - 朝鮮総連から民団に移動
  • 1976年~1985年 - 民団東京地方本部執行委員
  • 1979年~1985年 - 民団東京豊島支部支団長
  • 1988年~1991年 - 民団中央本部監察委員
  • 1991年~1994年 - 民団中央本部副議長
  • 1994年~1997年 - 民団中央本部副団長
  • 1997年~2000年 - 民団中央本部議長
  • 2006年2月 - 民団中央団長に就任
  • 2006年9月 - 民団団長退任
  • 2021年10月 - 脳出血により死去[1]。享年86。

[2][3]

朝鮮総連との関係

2006年5月17日に公表された「民団朝鮮総連の共同和解表明」において民団において主導的立場であった。この和解表明について地方の民団は異論を表明。混乱の末、河丙鈺は責任をとって団長を任期途中にて退任することとなった。その後も経歴より朝鮮総連との密接な関係が疑われている。

家族

4男1女を有する。

文献

  1. ^ 민단·조총련 8·15공동행사 추진 하병옥 前 민단 단장 별세 [특파원+]”. 2023年3月27日閲覧。
  2. ^ 民団新聞 2000年3月8日
  3. ^ 統一日報 2006年7月26日
先代
金宰淑
民団団長
2006年
次代
鄭進



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