永昌寺 (高山市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 永昌寺 (高山市)の意味・解説 

永昌寺 (高山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 14:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
永昌寺
所在地 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷田頃家386
位置 北緯36度15分1.8秒 東経137度29分42.4秒 / 北緯36.250500度 東経137.495111度 / 36.250500; 137.495111座標: 北緯36度15分1.8秒 東経137度29分42.4秒 / 北緯36.250500度 東経137.495111度 / 36.250500; 137.495111
山号 冨渓山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 正和元年(1312年)
開山 広岩玄英
開基 平政盛(江馬氏)
中興年 応永22年(1415年)
中興 江馬宗時
札所等 飛騨三十三観音霊場25番
法人番号 1200005010238
テンプレートを表示

永昌寺(えいしょうじ)は岐阜県高山市奥飛騨温泉郷にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は冨渓山。飛騨三十三観音霊場25番札所。

歴史

江馬氏眷属の平政盛が両親の追善供養のため、正和元年(1312)に広岩玄英を開山として建てた栄照庵が起源である。

その後、康安元年(正平16年、1361年)に玄英和尚が示寂すると寺は廃れた。応永22年(1415年)に江馬氏10代の江馬宗時がその父江馬輝時の菩提を弔うために越中国国泰寺から鳳宿麟芳を招いて中興した。

以来、明暦3年(1657年)まで臨済宗国泰寺派であったが、7世住持の久岩恵昌のときに高山宗猷寺の末寺となる。それ以降は臨済宗妙心寺派として現代に至っている。

寺宝として越中新川郷の領主、五ヶ嵐小豊次が奉納した大蔵経189巻と姉小路氏寄進の大般若経101巻、円空作韋駄天像を所蔵する。また、寺内には戒壇巡りのできる善光寺堂が建てられているほか、観音霊場の本尊として聖観音像と馬頭観音像が祀られている。

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

  • 飛騨三十三観音霊場会『飛騨三十三観音霊場めぐり』p.103 飛騨三十三観音霊場会、2005年
  • 松下千二『飛騨寺院風土記』p.209 濃飛展望社、1977年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「永昌寺 (高山市)」の関連用語

永昌寺 (高山市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



永昌寺 (高山市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの永昌寺 (高山市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS