比叡辻遺跡とは? わかりやすく解説

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比叡辻遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/08 10:01 UTC 版)

比叡辻遺跡
滋賀県における位置
所在地 滋賀県大津市比叡辻一丁目
座標 北緯35度4分9秒 東経135度53分11秒 / 北緯35.06917度 東経135.88639度 / 35.06917; 135.88639座標: 北緯35度4分9秒 東経135度53分11秒 / 北緯35.06917度 東経135.88639度 / 35.06917; 135.88639
種類 遺跡(集落跡)
面積 1823.98 m2
歴史
時代 鎌倉時代 - 室町時代

比叡辻遺跡(ひえいつじいせき)は、滋賀県大津市比叡辻一丁目にある13世紀初めから15世紀の後半、鎌倉時代から室町時代にかけての集落跡[1]

概要

比叡山延暦寺の麓、琵琶湖の湖岸で、宅地の造成工事に伴って発見された中世(鎌倉時代 - 室町時代)の集落跡。青白磁梅瓶(めいびん)、青磁香炉など貴重な遺物が発見されている。2022年1月より発掘調査が進められている[2]

低湿地帯に盛り土をして建物を建てていた模様。人口増によって土地が必要になり、元々居住地でない場所に改良工事をして住む場所を確保していたとみられる。土師器の皿や瓦質の火鉢など日用品から、香道で用いる香炉も見つかり、比較的身分の高い人々が暮らしていたと考えられる[3]

室町幕府第3代将軍・足利義満が1394年に日吉大社へ参拝する準備のため、比叡辻などにいた馬借・車借らが集められた記録が残る。また、1467年から始まった応仁の乱では、貴族や高僧らが同地区へと避難したことも知られている[4]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 延暦寺の中世港湾都市を初確認 大津・比叡辻遺跡」『産経ニュース』産経新聞社、2022年9月1日。2022年9月7日閲覧。
  2. ^ 比叡辻遺跡発掘調査現地説明会資料”. 大津市市民部文化財保護課 (2022年9月4日). 2022年9月8日閲覧。
  3. ^ “比叡辻遺跡の発掘調査に伴う現地説明会(一般参加可)” (プレスリリース), 滋賀県大津市(大津市役所), (2022年9月2日), https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000057.000087178.html 2022年9月7日閲覧。 
  4. ^ 渡辺征庸「琵琶湖畔に中世貴人が過ごした高級住宅地…茶道や香道など楽しむ?青磁の香炉や天目茶碗も出土」『読売新聞オンライン』読売新聞社、2022年9月4日。2022年9月7日閲覧。

関連項目




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