武田弘道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 武田弘道の意味・解説 

武田弘道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 23:03 UTC 版)

武田弘道(たけだ・ひろみち、1919年9月 - 1984年6月)は日本の哲学者、論理学

経歴

  • 1940年、北海道大学予科医類終了。
  • 1942年、京都大学文学部哲学科卒業。
  • 1949年、大阪市立大学法文学部助教授。
  • 1966年、大阪市立大学文学部教授。
  • 1983年、大阪市立大学定年退職。

学風

戦後の哲学界に分析哲学記号論理学を紹介した第一世代の一人。カール・ポパーの主著で浩瀚なる『自由社会の哲学とその論敵』を翻訳出版して(1963年、1973年)令名を高める。海外の哲学者との交友も多く、学会では海外研究者の講演のときには、通訳をした。

三宅剛一の言葉「多く考え、少なく書け」を地でいった人であった[1]

著書

単著

  • 『西洋哲学史概説――タレースよりヘーゲルまで』種智院大学、1949年
  • 『現代の論理学』法律文化社、1967年

共著

  • 『論理学入門――論理学と論理算』ミネルヴァ書房、1949年
  • 『フランス百科全書の研究』岩波書店、1954年
  • 『科学理論と自然科学』講座哲学体系第3巻、人文書院、1963年
  • 『論理学の基礎Ⅰ』ミネルヴァ書房、1970年

訳著

  • K・R・ポッパー『自由社会の哲学とその論敵――ヘーゲル・マルクス批判(1)』泉屋書房、1963年、※原著第2巻の翻訳
  • K・R・ポッパー『自由社会の哲学とその論敵』世界思想社、1973年、※原著第1巻、第2巻の合本

共訳著

  • 『哲学と歴史――東大「アメリカ研究」セミナー公開講義』東京大学出版会、1956年
  • 『科学と現代文化』創文社、1959年
  • 『科学と現代文化』第2巻、創文社、1961年
  • 『科学と現代文化』第3巻、創文社、1962年

脚注

  1. ^ 林なおみ「父在りて」武田ひろ子編『会議は踊る・ただひとたびの――武田弘道追悼集』ミネルヴァ書房、1985年、218頁。

参考文献

武田ひろ子編『会議は踊る・ただひとたびの――武田弘道追悼集』ミネルヴァ書房、1985年

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「武田弘道」の関連用語

武田弘道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



武田弘道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの武田弘道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS