歌川国鶴 (2代目)とは? わかりやすく解説

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歌川国鶴 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/05 03:34 UTC 版)

二代目 歌川 国鶴(うたがわ くにつる、嘉永5年(1852年) - 大正8年(1919年2月4日)とは、明治時代から大正時代にかけての浮世絵師、画家。

来歴

歌川国鶴の長男。本姓は和田、名は官之助。一雄斎と号す。浅草花川戸に生まれ、父国鶴に絵を学ぶ。明治5年(1872年)には幻灯を、義兄にあたるイギリス人貿易商のニコラス・フィリップ・キングドン(1829年 - 1903年)から譲られ、幻灯絵を描いて巡回興行を行った。また初めて写真の背景画を描いた。明治5年(1872年)から明治8年頃にかけて、「横浜繁栄本町通時計台神奈川県全図」[1]などの横浜絵を版行している。明治10年(1877年)以後、横浜の父の絵草紙屋を継いだ。明治13年(1880年)に上京し、東京の中橋広小路で絵草紙屋をはじめた。次いで芝愛宕山下日蔭町に店を移し、自作の石版画などを商う。玄々堂のためにも働いている。石版画の技術は梅村翠山の彫刻会社でオットマン・スモリックに付いて学び、明治22年(1889年)、「北廓美人」などといった砂目石版の作品を残した。当時における進取的な絵師の一人であった。大阪にて没す、享年68。息子に六代目歌川豊国がいる。

作品

  • 「横浜商館並ニ弁天橋図 横浜ステーション蒸気入車之図並海岸洋船燈明台を眺望す」 大判錦絵3枚続 神奈川県立歴史博物館所蔵 ※丸屋鉄次郎版、1870年代
  • 「横濱繁栄本町通時計台神奈川県全図」 大判錦絵3枚続 早稲田大学図書館所蔵 ※丸屋鉄次郎版、1870年代
  • 「横浜ステーション花園乃図」 大判錦絵3枚続 神奈川県立歴史博物館所蔵 ※山城屋清八版、1875年
  • 「幼稚園用切絵第一号」 大判錦絵 足立区立郷土博物館所蔵 ※1891年。以下同じ
  • 「幼稚園用切絵第二号」
  • 「幼稚園用切絵第三号」
  • 「幼稚園用切絵第四号」
  • 「幼稚園用切絵第八号」
  • 「幼稚園用切絵第十号」

脚注

  1. ^ 横浜繁栄本町通時計台神奈川県全図”. 早稲田大学図書館. 2013年7月12日閲覧。

参考文献

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※115頁
  • 吉田漱 『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年
  • 太田一斎編 『歌川派二百年と七代目豊國』 歌川豊國興隆会、2002年



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