椎木敬文とは? わかりやすく解説

椎木敬文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 00:41 UTC 版)

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しいぎ けいぶん
椎木 敬文
生誕 (1898-12-24) 1898年12月24日
(明治31年12月24日)
茨城県鹿島郡中野村大字居合
死没 (1977-09-02) 1977年9月2日(78歳没)
(昭和52年9月2日)
国籍 日本
別名一技堂日東
職業柔道整復師、柔術家
流派一技道
子供椎木有道、椎木宗道
椎木英俊、椎木とら

椎木 敬文(しいぎ けいぶん[注釈 1]1898年12月24日 - 1977年9月2日)は、日本武術家である。号は日東、別名は一技堂日東という。

経歴

1898年(明治31年)12月24日に椎木英俊の次男として茨城県鹿島郡中野村大野村を経て、現在の鹿嶋市)に生まれる[1]

1915年(大正4年)より清心館(麻布)と帝國尚武會(芝)で野口清より神道六合流柔術を学んだ[1]

また東武館の谷田部清之助から為我流和、勢武館の山田鍛男から真蔭流、柴田衛守から鞍馬流剣術、講道館で講道館柔道等を修行した。

また、淀橋町泊木の人體ラジウム學會本部霊學道場で松本道別に就き霊學を修めた。

1923年(大正12年)に椎木道場を開設し、一技道武術を創始した。

脚注

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注釈

  1. ^ 茨城人名録では「しいぎ よしぶみ」と書かれている。

出典

  1. ^ a b いはらき新聞社 編『茨城人名録』いはらき新聞、1939年

参考文献

  • いはらき新聞社 編『茨城人名録』いはらき新聞、1939年
  • 弘文社 編『茨城人名辞書』弘文社、1932年
  • 吉峯康雄「偉才の武術家椎木敬文師が編みし総合武術"一技道"」『月刊秘伝』2003年8月号、BABジャパン
  • 椎木宗道 著『天真正伝香取神刀流 いにしえより武の郷に家伝されし精妙なる技法群』BABジャパン、2012年

椎木敬文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:04 UTC 版)

神道六合流」の記事における「椎木敬文」の解説

茨城県の人。一技道開いたことで知られる1915年上京し麻布清心館で野口から神道六合流を学ぶ。通信教授ではなく野口清直門である。神道六合流の他に香取神道流鹿島新當流鞍馬流真蔭流為我流講道館柔道(六段)なども学んでいる。

※この「椎木敬文」の解説は、「神道六合流」の解説の一部です。
「椎木敬文」を含む「神道六合流」の記事については、「神道六合流」の概要を参照ください。

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