森賀康裕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 08:48 UTC 版)
森賀 康裕
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もりか やすひろ | |
生誕 | 1969年10月2日(55歳)![]() |
出身校 | 大阪体育大学 |
職業 | 高校教諭、陸上競技指導者 |
著名な実績 | 遊学館高等学校男子駅伝競走部顧問、ひろしま男子駅伝石川県チーム監督 |
森賀 康裕(もりか やすひろ、1969年10月2日 - )は、広島県呉市出身の日本の高校教員、陸上競技指導者。石川県金沢市の遊学館高等学校で保健体育科教諭および男子駅伝競走部の顧問を務め、2024年の第30回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(ひろしま男子駅伝)で石川県チームの監督として指揮を執った[1][2]。
経歴
森賀は広島県呉市に生まれ、呉三津田高等学校に在学後、大阪体育大学を1994年に卒業[3][出典無効]。2005年時点で近畿大学附属福山高等学校(広島県)の陸上競技部監督を務め、第68回中国山口駅伝競走大会(高校の部)に出場し、チームは総合14位(4:50:09)を記録した[4]。その後、石川県金沢市の遊学館高等学校で保健体育科教諭および男子駅伝競走部の顧問に就任。厳格な指導で知られ、2014年卒業生の田中将希(当時部キャプテン)を指導し、田中が全国高校駅伝競走大会でアンカーとして活躍するのを支えた[5]。
2024年の天皇盃第29回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(ひろしま男子駅伝)では、石川県チームの監督として出場[1][2]。能登半島地震の影響で選手やその家族が避難所暮らしを強いられる中、「まずはスタートラインに立つこと」を目標に掲げ[2]、開会式では選手たちが「ご支援ありがとうございます」と書かれた横断幕を披露した。森賀は「走っている元気な姿を地元の方々に届けたい」と語り、被災地への支援を訴えた[1][2]。
人間関係
2005年の第68回中国山口駅伝競走大会において、森賀は近畿大学附属福山高等学校の陸上競技部監督として参加し、同大会の一般の部では原智徳がJFEチームの選手として出場していた(7区、32:19、総合2位)[4]。卓球指導者内田博(卓球)と近大福山で同僚だった。
指導理念
森賀は、厳しいトレーニングを通じて生徒の精神的・肉体的成長を促しつつ、挨拶や対話を通じた社会性の育成を重視する。現代の生徒がSNSや携帯電話の普及により直接対話に苦手意識を持つ傾向にあるとして、部活動や授業で明確な意思疎通の能力を養う指導を行っている[5]。部活動では、練習後のミーティングで各学年の代表に反省点を発表させるなど、コミュニケーション能力の向上を促す取り組みを実施している[5]。
脚注
- ^ a b c “石川県チーム監督「まずはひろしま男子駅伝のスタートラインに」 能登半島地震 避難所暮らしの選手も”. 中国新聞 (2024年1月5日). 2025年5月27日閲覧。(
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- ^ a b c d 「都道府県対抗男子駅伝開会式 森賀康裕監督、石川へ「元気な姿届ける」」『サンケイスポーツ』2024年1月20日。2025年5月28日閲覧。
- ^ a b “第68回 中国山口駅伝競走大会”. 山口陸上競技協会 (2005年1月30日). 2025年5月29日閲覧。 “第68回中国山口駅伝競走大会(高校の部)”
- ^ a b c “教師を目指す卒業生 対談:教諭 森賀康裕 × 卒業生 田中将希”. 遊学館高等学校. 2025年5月27日閲覧。
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