栄性
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栄性 | |
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明和5年(1768年)4月14日 - 天保8年(1837年)10月13日 | |
幼名 | 又治郎 |
生地 | 信濃国更級郡八幡村 |
没地 | 武蔵国 護国寺 |
宗旨 | 真言宗 |
宗派 | 豊山派 |
寺院 | 護国寺 |
師 | 栄寿 |
栄性(えいしょう、明和5年4月14日(1768年5月29日) - 天保8年10月13日(1837年11月10日))は、真言宗豊山派における性相学の学僧である。俗姓は浦沢、幼名は又治郎、字は諦純。法諱は初めは栄慶、後に栄性と改めた[1]。
生涯
明和5年(1768年)4月14日、信濃国更級郡八幡村(現・長野県千曲市)に生まれた[1]。10歳の時に、水内郡金剛寺の栄寿のもとで出家する。天明5年(1785年)に豊山にのぼり、雲井坊蓮阿について性相学を研究した。寛政9年(1797年)に蓮阿について武州弘光寺に入り、寛政10年(1798年)9月にふたたび豊山にのぼり、研学にはげんだ。
享和3年(1803年)4月に勧学院の常役となり、また文化11年(1814年)5月には根来山に住み、48歳で権僧正となった。天保4年(1833年)10月4日に護持院と護国寺の住職となり、天保8年(1837年)10月13日、70歳で他界した。
業績
栄性の著作は11部13巻あり、因明研究書に『因明正理門論註釈』1巻があり、大谷大学に自筆本が残っている。この書は、日本における『因明正理門論』の注釈書として大変貴重である。
脚注
参考文献
- 隆慶『豊山伝通記』
- 櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』
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