林喜市郎とは? わかりやすく解説

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林喜市郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/15 06:15 UTC 版)

林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 1999年11月3日[1])は、日本洋画家千葉県野田市出身。

生まれ育った千葉の故郷等を主題に、様々な風景画、主に民家を描く事で知られる。

経歴

1919年、千葉県野田市に生まれる。

1946年にシベリア抑留を経験し、敗戦後、日本に戻り画家を志すようになる。

齢50を過ぎてから画家デビューするという異色の経歴を有しており、数多くの古民家を描き続けてきた事で知られる。

全国の民家を訪ね歩く事により、日本固有の藁葺文化を世界に伝え浸透させるために活動する。

数ある作品の中でも、山梨県忍野村風景が大多数を占めており、優美性と写実性に富んだ独特の技法が絶大な人気を呼び起こした。

中でも画商、寺西進三郎の知遇を得、約30年間に及ぶ全国の藁葺民家の取材旅行からは、今となっては、ほとんど消え去りつつある日本の原風景を再発見するとともに、「失われた民家百景」シリーズとして制作する契機に至る。

作風

山梨県忍野村の自然を舞台とした作品が主流であり、中でも藁葺民家をモチーフとしたものが多い。

評価

愚直に生涯のライフワークとして民家を描き続けたことにより、繊細で日本の原風情を表現する作風が高く評価され、1970年に全国勤労者美術展都知事賞を受賞。後に一水会展に入選した後、4回に渡り入選し、併せて日伯現代美術展入選も果たす。また、作品の集大成として、1981年自叙伝「民家を描く12ヶ月」を刊行。

代表作

  • 奥多摩
  • 秋田 本荘附近

画歴

  • 1919年 千葉県野田市に生まれる。
  • 1946年 シベリア抑留
  • 1950年 帰国、全国各地の民家を訪ね歩き制作を始める。
  • 1968年 写生会で画商、寺西進三郎に見いだされ、以後交際が始まる。
  • 1970年 全国勤労者美術展都知事賞
  • 1973年 第一回個展後、寺西進三郎主催の下、ブロードウェイギャラリーと独占契約を締結。以後、同氏と民家の取材、シーズン毎に全国の藁葺家屋の取材の旅が始まる。    
  • 1975年 日伯現代美術展入選、ブラジル展選抜。
  • 1978年 松坂屋名古屋本店にて個展。
  • 1980年 松坂屋大阪店個展、他個展。
  • 1981年 そごう東京・柏・千葉・札幌店個展他個展。大日本絵画より「信濃路春秋」「上州の民家」出版。
  • 1984年 松坂屋上野店にて個展(以後5回個展)。
  • 1986年 池袋東武百貨店にて個展。
  • 1991年 東急渋谷本店にて個展。
  • 1997年 第10回林喜市郎油彩展、松坂屋名古屋本店にて開催。

脚注

  1. ^ 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.478

参考文献

  • 古典クローズアップ-林喜市郎展(ブロードウェイギャラリー発行)
  • 第10回林喜市郎油彩展(松坂屋名古屋本店南館6階美術画廊刊行)



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