林佑子
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林 佑子(はやし ゆうこ、1929年11月2日-2018年1月7日)は日本出身のオルガニスト。「日本のオルガン奏者の草分け的存在」[1]とされ、米国ニューイングランド音楽院オルガン科主任教授などを歴任した。
経歴
1929年11月2日、神奈川県で日本聖公会の司祭の娘として生まれ、幼少期からオルガンに親しむ[2]。その後、東京音楽学校に進んで眞篠俊雄、秋元道雄、奥田耕天に師事[2]。1951年、パイプオルガン独奏会を行ったのち(2月12日)[3]、国際平和奨学金を得て渡米し、コティ大学で1年間修学後、ニュー・イングランド音楽院にてオルガン音楽を専攻、ジョージ・ファクソン、ドナルド・ウィリングに師事し、アーティスト・ディプロマを取得のうえ最優秀の成績で卒業した[2]。さらに、ヨーロッパではアントン・ハイラーの薫陶も受けた[2]。1960年からはニュー・イングランド音楽院で専任講師として指導に当たる[2]。1968年にはオランダ・ハーレムでのオランダ国際音楽祭でリサイタルを行う[4]。1970年秋には国際基督教大学(ICU)に客員教授として招聘され、講義を行うとともに同大学礼拝堂に設置されたオルガンの奉献記念演奏を行った[2]。そのほか、東京音楽大学、フェリス女学院大学でも教鞭を執ったのに加え、米国ボストンのオールド・ウェスト教会音楽監督も務めた[2]。指導者として育てた門下生は約500人にのぼる[1]。
2018年1月7日、米国ニューハンプシャー州セーレムにて老衰のため死去、享年88[5]。
脚注
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