松平重利 (三木松平家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松平重利 (三木松平家)の意味・解説 

松平重利 (三木松平家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/01 08:26 UTC 版)

 
松平 重利
時代 江戸時代前期
生誕 不詳
死没 延宝8年3月28日 (1680年4月27日)[1]
別名 忠貞[1]、與十郎[1]、九郎右衛門[1]
戒名 直心(法名)[1]
墓所 養国寺
幕府 江戸幕府旗本 大番組頭小普請
主君 徳川家光家綱
氏族 三木松平家
父母 父:松平忠利
長塩正家の娘
忠義、大野元脇、忠政
テンプレートを表示

松平 重利 (まつだいら しげとし)は、江戸時代前期の旗本。忠利系三木松平家2代。『寛政重修諸家譜』編纂時に提出された家譜によれば、諱は忠貞[1]

経歴

三木松平家松平忠利[注釈 1]の子として生まれる[1]。忠利は500石取りの旗本であったが、慶長14年(1609年)に職務上の問題で改易され、寛永9年(1632年)に許されて幕臣に復帰し、300俵を給されている[1]。『寛政重修諸家譜』に、重利の生年(および生年が算出可能な享年)の記載はない。

寛永11年(1634年)3月11日、徳川家光御目見[1]。のちに大番に列する[1]

父の死に伴い、慶安2年(1649年)12月14日に遺跡を継承。万治3年(1660年)2月23日、大番組頭となり[1]、同年12月26日に200俵を加えられる(合計500俵)[1]

寛文4年(1664年)閏5月24日に職を辞し、小普請となる[1]。延宝8年(1680年)3月28日死去[1]

系譜

『寛政重修諸家譜』には、男子3名が載る[2]

補足

長男の忠義(与十郎)は番方を歴任し、加増を受けて最終的に500石を知行した[1]

次男(次郎四郎、五平次)は大野家の婿養子となり、大野元脇を称した[3]。大野家は武田旧臣出身で、のちに徳川忠長に附属された家である[5]。元脇の義父の大野元継は、忠長に書院番として仕えたが、忠長改易とともに浪人、のちに幕臣に復帰し、大番入りして最終的に200石を知行した[5]。元継の正室は加賀藩家老・本多政重の娘である[6]

三男の忠政は大番に列し、200俵取りの別家を立てた[4]

脚注

注釈

  1. ^ 松平重忠の二男。三木松平家の嫡流は、慶長6年(1601年)12月に隠居の重忠、当主の忠清(忠利の兄)が相次いで没し、忠清に嗣子がなかったために絶家とされている[1]。忠利はこれより先に別家を立てていた[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『寛政重修諸家譜』巻第三「松平 三木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.17、『新訂 寛政重修諸家譜 第一』p.23
  2. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第三「松平 三木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』pp.17-18、『新訂 寛政重修諸家譜 第一』pp.23-24
  3. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第千三百十八「大野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』pp.939-940
  4. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第三「松平 三木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.19、『新訂 寛政重修諸家譜 第一』p.25
  5. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第千三百十八「大野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.939
  6. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第千三百十八「大野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.940

参考文献

  • 続群書類従完成会『新訂 寛政重修諸家譜 第一』1965年、23-24頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  松平重利 (三木松平家)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平重利 (三木松平家)」の関連用語

1
36% |||||

松平重利 (三木松平家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平重利 (三木松平家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松平重利 (三木松平家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS