東条長頼とは? わかりやすく解説

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東条長頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 15:42 UTC 版)

東条 長頼(とうじょう ながより、天正5年(1577年) - 寛永8年6月5日1631年7月4日))は、江戸幕府旗本徳川氏家臣[1]

生涯

父は東条行長。妻は北条氏規の娘。子に東条長氏。官位は従五位下、紀伊守、伊豆守。

父の行長は豊臣秀吉の家臣だったが、後に徳川家康の家臣に転じた。そのため、長頼は最初から家康に仕えて旗本家臣として従ったという[1]書院番士を務め、大坂の陣では西尾忠永隊に属して戦った。寛永8年(1631年)6月5日、55歳で死去[2]

脚注

  1. ^ a b 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P72
  2. ^ 寛政重修諸家譜』第1輯(国民図書、1922年)p.992-993

参考文献




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