杜従郁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/20 13:03 UTC 版)
杜 従郁(と じゅういく、生没年不詳)は、唐代の官僚。本貫は京兆府万年県[1]。
経歴
杜佑の子として生まれた。若くして病がちで、兄の杜式方にいつも薬膳水を調合して飲ませてもらっていた[2][3]。蔭官により任用され、貞元末年に太子司議郎となった。元和初年、左補闕に転じた。諫官の崔群・韋貫之・独孤郁らは従郁が宰相の子であるとして、諫官とするには不適当と上奏した。そこで従郁は左拾遺に降格された。崔群らはさらに拾遺も諫官の列にあり、父が宰相で子が諫官となれば、子が父をあげつらうことはできないと上奏した。そこで従郁は秘書丞に転じた。駕部員外郎を最終官とした[4][3]。
子女
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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