李希孔とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 李希孔の意味・解説 

李希孔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 10:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

李 希孔(り きこう、1583年 - 没年不詳)は、明代官僚は子鑄、は尋仲。本貫広州府三水県

生涯

李大遇と陸氏のあいだの子として生まれた。1610年万暦38年)、進士に及第した。中書舎人に任じられ、南京御史に抜擢された。1620年(万暦48年)、給事中の姚宗文が遼東の軍を調査し、経略の熊廷弼を排除しようとしたことから、希孔は弾劾の上疏をおこなった。さらに考査選抜に姚宗文が横槍を入れたことを糾弾した。同年(泰昌元年)冬、希孔は時政七事の意見を上奏した。1621年天啓元年)、王允成とともに邵輔忠を弾劾した。また言官の倪思輝・朱欽相・王心一を赦すよう請願した。

1623年(天啓3年)、希孔は「折邪議」を上疏し、両朝実録で明末三案の評価を定めるよう求めた。天啓帝の詔により史館に参考意見として送られたが、その後改められることはなかった。まもなく希孔は客氏を宮中から出し、崔文昇を処刑するよう求めた。

希孔を嫌う者は多く、東林党とされて指弾された。しばらくして在官のまま死去したため、東林党弾圧の禍にはかからなかった。

参考文献

  • 明史』巻246 列伝第134



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  李希孔のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李希孔」の関連用語

1
2% |||||

李希孔のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李希孔のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李希孔 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS