本野原の柳の木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:35 UTC 版)
本坂通の御油から豊川にかけての一帯は、『東鑑』などによると「本野原」(ほんのはら/もとのはら)と呼ばれた平原で、『東関紀行』によると、当時一帯は笹原になっており、その中を通る本坂通沿いには北条泰時が道標として植えさせた柳の木が「陰とたのむほどはなけれども、かつがつ、まず道のしるべとなる」ほどに育っていた。 本野原の柳の道標のことは、『東海道名所図会』に紹介されており、同図や『五十三次名所図会』(挿図参照)に描かれている。
※この「本野原の柳の木」の解説は、「本坂通」の解説の一部です。
「本野原の柳の木」を含む「本坂通」の記事については、「本坂通」の概要を参照ください。
本野原の柳の木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 06:22 UTC 版)
姫街道の御油から豊川にかけての一帯は、『東鑑』などによると「本野原」(ほんのはら/もとのはら)と呼ばれた平原で、『東関紀行』によると、当時一帯は笹原になっており、その中を通る姫街道沿いには北条泰時が道標として植えさせた柳の木が「陰とたのむほどはなけれども、かつがつ、まず道のしるべとなる」ほどに育っていた。 本野原の柳の道標のことは、『東海道名所図会』に紹介されており、同図や『五十三次名所図会』(挿図参照)に描かれている。
※この「本野原の柳の木」の解説は、「二見の道」の解説の一部です。
「本野原の柳の木」を含む「二見の道」の記事については、「二見の道」の概要を参照ください。
- 本野原の柳の木のページへのリンク