木和田安逵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:38 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動木和田 安逵(きわだ やすき、生没年不詳)は、南北朝時代の人物。菅沼氏の祖と伝わるが、記録によっては駿河大森氏の祖とも伝わる。
生涯
土岐満貞の子として生まれる。兄には島田満名(島田氏の祖)がいる。母は不明。父の満貞は明徳2年/元中8年(1391年)の明徳の乱の際に「内野の合戦」において卑怯な行動をとったとして守護職を罷免されてしまい、以降尾張守護職は土岐氏の手から離れることになったという。その後の消息は不明であるが三河に逃れて、子孫は菅沼を名乗ったという[1]。
系譜
出典
- 『武家家伝』菅沼氏[要文献特定詳細情報]
- 『菅沼系図』
脚注
- ^ “寛政重脩諸家譜. 第2輯 - 国立国会図書館デジタルコレクション” (日本語). dl.ndl.go.jp. 2021年6月22日閲覧。
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