木下甚三郎
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木下 甚三郎(きのした じんざぶろう、1857年8月10日(安政4年6月27日[1])- 1930年(昭和5年)9月24日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
播磨国明石郡、のちの兵庫県[2]明石郡大久保村(大久保町を経て現明石市)出身[3]。農業を営む。明石郡松蔭村(現・明石市)戸長、大久保村会議員、明石郡会議員、兵庫県会議員、同県農会議員となる[2]。
1920年の第14回衆議院議員総選挙において兵庫7区から立憲政友会公認で立候補して当選する[4]。1924年の第15回衆議院議員総選挙では兵庫5区から政友本党公認で立候補したが落選した[5]。1930年に死去した。
脚注
参考文献
- 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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