有馬の殉教者(8名)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:30 UTC 版)
「ペトロ岐部と187殉教者」の記事における「有馬の殉教者(8名)」の解説
島原藩の藩主であった有馬晴信の受洗によって、この地のキリシタンは増加し、その数は数万人に及んだという。しかし、岡本大八事件により晴信が流罪となり、その家督と所領が息子の直純に移ると状況は一変。領主であり、徳川家康の外曾孫・国姫を側室に持つ直純と、長崎奉行長谷川左兵衛によって迫害が行われた。 1613年10月7日殉教アドリアノ高橋主水 (年齢不詳) ヨハンナ高橋 (年齢不詳):アドリアノ高橋の妻 レオ林田助右衛門 (年齢不詳) マルタ林田 (年齢不詳):レオ林田の妻 マグダレナ林田 (19歳):レオ林田の娘 ディエゴ林田 (12歳):レオ林田の息子 レオ武富勘右衛門 (年齢不詳) パウロ武富 (27歳):レオ武富の息子
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