曹嶷を青州へ派遣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 03:18 UTC 版)
12月、王弥は自らの左長史(参謀役)である曹嶷を安東将軍に推挙し、彼を青州攻略に当たらせるよう上奏すると、劉淵はこれを許可した。こうして曹嶷に5千の兵と宝物を与えて青州へ派遣し、流民を招集させると共に王弥の一族を迎え入れるよう命じた。曹嶷は青州に到達すると、西晋軍との抗争に苦しみながらも東平郡・琅邪郡・斉郡などを支配下に入れていき、数年を掛けて次第に大きな勢力となっていった。 310年1月、鎮東大将軍石勒が白馬を攻め落とすと、王弥は2万を率いて石勒軍と合流し、共に陳郡・潁川郡へ侵攻した。その後、自らは陽翟に駐屯し、弟の王璋を派遣して石勒と共に徐州・兗州へ攻め入らせたが、司馬越軍に敗れた。
※この「曹嶷を青州へ派遣」の解説は、「王弥」の解説の一部です。
「曹嶷を青州へ派遣」を含む「王弥」の記事については、「王弥」の概要を参照ください。
- 曹嶷を青州へ派遣のページへのリンク