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暢璀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 09:03 UTC 版)

暢 璀(ちょう さい、生年不詳 - 775年)は、唐代官僚本貫河中府河東県

経歴

進士に及第した。天宝末年、安禄山の推挙により河北海運判官となった。三度異動して大理寺評事となり、副元帥の郭子儀に召し出されて従事をつとめた。至徳元載(756年)、粛宗が即位すると、暢璀は推薦を受けて諫議大夫に任じられた。吏部侍郎に転じた。広徳2年(764年)12月、散騎常侍・河中尹となり、御史大夫を兼ねた。永泰元年(765年)、左散騎常侍となり、裴冕とともに集賢院待詔をつとめた。大暦5年(770年)、判太常寺卿を兼ね、戸部尚書に転じた。大暦10年(775年)7月、死去した。太子太師の位を追贈された[1]

子に暢当があった[2]

脚注

  1. ^ 旧唐書 1975, p. 3332.
  2. ^ 新唐書 1975, p. 5717.

伝記資料

参考文献




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