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新貝肇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 01:30 UTC 版)

新貝 肇(しんがい はじめ、1896年明治29年)7月25日[1][注 1] - 1980年昭和55年)1月9日[2])は、朝鮮総督府官僚大分県副知事

経歴

大分県宇佐郡天津村(現在の宇佐市)出身[3]。宇佐中学校(現大分県立宇佐高等学校[4]第四高等学校を卒業[5]1920年大正9年)10月[5]高等試験行政科に合格し[3]、翌年に東京帝国大学法学部政治科を卒業した[1]逓信省に入省したが、1922年(大正11年)朝鮮総督府に転じた[5]朝鮮総督府逓信局書記、同逓信副事務官、同事務官、逓信吏員養成所長、逓信局庶務課長、同経理課長、黄海道警察部長、江原道内務部長、警務局警務課長、総督官房人事課長を歴任[6]1937年(昭和12年)、全羅南道知事に就任し、咸鏡南道知事を経て、逓信局長・高等海員審判所長に転じた[1][6]1942年(昭和17年)より司政局長・中枢院書記官長を務めた[1]。1943年(昭和18年)に退官し[5]、その後、朝鮮有熛炭株式会社社長に就任した[4]

終戦後に東京で家庭裁判所調停委員などを務め[4]、1956年(昭和31年)6月から1963年(昭和38年)1月まで木下郁大分県知事の元で副知事に在任した[4]。1969年(昭和44年)にテレビ大分の初代社長に就任した[4]

脚注

注釈

  1. ^ 『大分県歴史人物事典』276頁では明治30年。

出典

  1. ^ a b c d 大衆人事録 1943, p. 朝鮮54.
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、640頁。
  3. ^ a b 輓近大日本拓殖史 1934, p. 475.
  4. ^ a b c d e 『大分県歴史人物事典』276頁。
  5. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、227頁。
  6. ^ a b 人事興信録 1939, p. シ129.

参考文献

  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 
  • 帝国秘密探偵社編 『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 人事興信所編 『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
  • 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。



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