新井洞巌とは? わかりやすく解説

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新井洞巌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 17:32 UTC 版)

新井 洞巌(あらい どうがん、慶応2年4月10日1866年5月24日) - 昭和23年(1948年5月2日[1])は、明治から昭和前期に活躍した南画家。本名は信吉。号は白雲、後に洞巌[2]。養子は住友生命保険社長・会長を務めた新井正明[3]。「洞厳」は誤記。

上野国吾妻郡原町須郷沢(現・群馬県吾妻郡東吾妻町)に、新井半重郎の次男として生まれた[4][5]。6歳の時に母、13歳の時に兄、19歳の時に父を亡くし、継母は異母妹を連れて郷里へ帰ったため天涯孤独となる[6]

長井雲坪、四谷延陵、菅原白龍、高森砕巌に南画[1][5]、漢学を貫名海雲に学んだ[5]。1896年(明治29年)から18年に渡って日本全国や中国の洞庭湖、台湾などを旅した[1][4]。その絵は吉川英治安岡正篤らに評価され[4]、吉川からは「最後の南画人」と評された[1]

主な著書

  • 「南画の描き方」中央美術社、1918年。
  • 「洞巌風雅集」金井好道 編、壱誠社、1960年。

脚注

  1. ^ a b c d 新井洞巌」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E4%BA%95%E6%B4%9E%E5%B7%8Cコトバンクより2025年8月4日閲覧 
  2. ^ 『洞巌風雅集』p.1。
  3. ^ 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年、p.28。
  4. ^ a b c 『郷土歴史人物事典群馬』第一法規出版、1978年、p.142。
  5. ^ a b c 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年、p.26。
  6. ^ 『洞巌風雅集』p.7-9。



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