新井城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 07:04 UTC 版)
戦国時代初期の明応3年(1494年)に三浦時高・高教の親子から新井城を奪った三浦義同(道寸)・義意だったが、永正9-13年(1512-1516年)、小田原の伊勢盛時(北条早雲)に城を囲まれた。3年にわたる篭城戦を繰り広げたが、ついに陥落して相模三浦氏は滅亡した。この時三浦一族の血で海が油の壺のように真っ黒に染まったことから、今の地名油壺の呼び名がついた、とされる。 その後、豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となった。
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