文明館 (名古屋市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/16 05:27 UTC 版)
| 大須東映 (文明館) |
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大須文明館(1955年頃)[1]
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| 情報 | |
| 完成 | 1908年1月8日 |
| 開館 | 1952年11月 |
| 閉館 | 1961年12月11日 |
| 客席数 | 324席 |
| 用途 | 映画上映 |
| 運営 | 竹本武夫→竹本勝子[2] |
| 所在地 | 愛知県名古屋市中区門前町4-52[2] |
文明館(ぶんめいかん)は、かつて愛知県名古屋市中区門前町4-52(現・大須2丁目)にあった映画館。1908年(明治41年)1月8日に開館し、日本で3番目の活動常設館(映画館)とされている。
歴史
戦前
1908年(明治41年)1月8日、名古屋市の大須観音仁王門近くに活動常設館の文明館が開館した[3]。1903年(明治36年)10月に開館した東京・浅草の電気館、1907年(明治40年)7月に開館した大阪・千日前の文明館に次いで、日本で3番目の活動常設館とされる[3]。前身は五明座という寄席であり、経営者は竹本武夫だった[4]。なお、同年4月には名古屋市で2番目の活動写真常設館として、文明館と同じく仁王門通に電気館も開館している[5]。1912年(明治45年)8月23日には建物を新築して再開館した[4]。
戦後
戦後には1952年(昭和27年)11月に文明館の建物が再建され[2]、やがて大須東映に改称した。竹本武夫の後を継いだ竹本元信は、東映名古屋支社長を務めた人物である[4]。1961年(昭和36年)12月11日、大須東映は火災で全焼し[6]、文明館から54年弱に及ぶ歴史に幕を閉じた。
2025年(令和7年)現在、文明館→大須東映があった場所には大須仁王門フロントビル(2017年10月竣工・地上3階建て[7])が建ち、同ビルの1階に串カツ田中大須観音店[8]が入居している。
脚注
- ^ 『写真集 映画黄金期 小屋と名作の風景 下巻』国書刊行会、1989年
- ^ a b c 『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年、84頁。「名古屋市中区(二十八館)≫文明館」
- ^ a b 柴田勝『中京名古屋映画興行の変遷』1974年、p.1、p.16
- ^ a b c 伊藤紫英『名古屋映画史 8mmから70mmまで』1980年、2頁。
- ^ 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『大須レトロ』樹林舎、2010年、120-124頁。
- ^ 『映画年鑑 1963年版』時事通信社、1963年
- ^ “大須仁王門フロントビル”. ビルネクスト. ビズライフエージェント. 2025年11月16日閲覧。
- ^ “串カツ田中 大須観音店【公式】”. 串カツ田中ホールディングス. 2025年11月16日閲覧。
参考文献
- 柴田勝『中京名古屋映画興行の変遷』柴田勝、1974年
- 伊藤紫英『名古屋映画史 8mmから70mmまで』伊藤紫英、1980年
- 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『大須レトロ』樹林舎、2010年
座標: 北緯35度09分32.6秒 東経136度53分58.3秒 / 北緯35.159056度 東経136.899528度
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