押野見邦英とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 技術者 > 技術者 > 日本の建築家 > 押野見邦英の意味・解説 

押野見邦英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/24 13:47 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search

押野見邦英(おしのみ くにひで、1941年 - )は日本の建築家。おもに鹿島建設設計部で活動。1969年、最高裁判所設計競技で岡田新一の下、チーフとして案をとりまとめ、1等当選に貢献する。

横浜国立大学在学中に、デザイン学校にも通っていたという。1965年大学卒業と同時に、母校の助手をつとめた後に鹿島建設に入社。同社で担当した建築作品は、1972年の愛知医科大学校舎、1974年の大正製薬総合研究所、1978年の八重洲ブックセンター、1983年の囲いの家、1985年のタグボート・ビル、赤坂ノアビルなど、その他代表作にhhstyle.com/sleep(青海1丁目パレットタウン内)がある。

参考文献

  • 鹿島建設の歩み 人が事業であった頃, 小野一成著, 1989,
  • 鹿島建設 百四十年の歩み, 鹿島建設社史編纂委員会編,1980, 鹿島建設,




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「押野見邦英」の関連用語

押野見邦英のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



押野見邦英のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの押野見邦英 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS