悟渓寺 (愛知県扶桑町)
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悟渓寺 | |
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所在地 | 愛知県丹羽郡扶桑町南山名本郷94 |
位置 | 北緯35度22分5.5秒 東経136度54分10.6秒 / 北緯35.368194度 東経136.902944度座標: 北緯35度22分5.5秒 東経136度54分10.6秒 / 北緯35.368194度 東経136.902944度 |
山号 | 大興山[1] |
宗派 | 臨済宗[1] |
本尊 | 十一面観世音菩薩[1] |
創建年 | 1699年(元禄12年)[1] |
開山 | 惟香[1] |
正式名 | 大興山悟渓寺[1] |
文化財 | 扶桑町指定文化財(史跡)[2] |
悟渓寺(ごけいじ)は、愛知県丹羽郡扶桑町南山名にある臨済宗の寺院。扶桑町指定文化財。
歴史
惟香を開祖として、1699年(元禄12年)に悟渓宗頓の誕生の宅跡にその遺跡を保存するために建立された。当時より臥龍庵と称してその整地を護持してきた。その後一時荒廃したが、1826年(文政9年)に悟渓庵が再建された。濃尾地震の折、本堂兼庫裡は倒壊したが、翌年再建された。明治初年、寺籍帳調製の際誤って脱漏があったので、顕法寺第十四世洪獄の発起により、信徒の賛同を求め、1930年(大正5年)該庵と号し、翌年臥龍庵となった。そして1942年(昭和17年)大興山悟渓寺と改称した。
1977年(昭和52年)9月1日、「悟渓屋敷」として扶桑町指定文化財(史跡)に指定された[3]。
悟渓屋敷
1630年(寛永7年)、この地に「無縫塔」が建てられた。この石塔には、「悟渓宗頓和尚生産地 寛永七年悟渓宗頓和尚」と刻されている。『悟渓寺記録』では年号や悟渓の年令で1、2年の違いがみられる。悟渓寺は悟渓の没後一時荒廃したが、1826年(文政9年)に伊藤林八、伊藤為吉と顕法寺の連名で悟渓庵再建願を寺社奉行に願い出て、建物を修復している。悟渓は扶桑が生んだ宗教家であるだけでなく、思想家、文化人でもあった。扶桑町立山名小学校の校歌にも、次のように歌い継がれている。
悟渓の禅師の産声は 今も聞ゆる心地して 誠の道を辿りつつ 進むわれらに力あり — 扶桑町立山名小学校校歌
扶桑町教育委員会は、ここを「悟渓屋敷」として1977年(昭和52年)9月1日、扶桑町指定文化財(史跡)に指定した。
脚注
- ^ a b c d e f 扶桑町教育委員会 & 扶桑町史編集委員会 1998, pp. 517.
- ^ 扶桑町教育委員会 & 扶桑町史編集委員会 1998, pp. 518.
- ^ 扶桑町教育委員会 & 扶桑町史編集委員会 1998, pp. 461.
参考文献
- 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会『扶桑町史 上』扶桑町、1998年。
- 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会『扶桑町史 下』扶桑町、1998年。
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