徳念寺 (豊田市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 13:28 UTC 版)
徳念寺 | |
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所在地 | 愛知県豊田市駒場町北81-1 |
位置 | 北緯35度00分59.5秒 東経137度03分29.9秒 / 北緯35.016528度 東経137.058306度 |
山号 | 雲竜山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 永正7年(1510年) |
開基 | 徳念 |
徳念寺(とくねんじ)は、愛知県豊田市駒場町北81-1にある真宗本願寺派の寺院。山号は雲竜山。本尊は阿弥陀如来。
豊田市南部の鎌倉街道沿いにある。豊田市では唯一の本願寺派の寺院である[1]。豊田市では寺部町の随應院、幸町の隣松寺とともに、一切経を納める輪蔵を有する数少ない寺院である[2]。豊田市駒場町には臨済宗妙心寺派の極楽寺もある。
歴史
創建
室町時代末期、大和国越智氏の家臣である鳥屋元教が三河国を訪れ、勝鬘寺の門末だった八橋の浄教寺に居を構えた[1][3]。元教の嫡子である鳥屋元繁が出家して徳念と号し、永正7年(1510年)6月に実如上人から方便法身尊像を下賜されると、真宗道場である小浜道場を創建した[1][3]。
近世
江戸時代初期には真宗大谷派の勝鬘寺の末寺だったが、江戸時代中期に真宗本願寺派に転じた[1]。その後、2世徳運、3世正西、4世正運、5世雲竜と続いている[3]。享保19年(1734年)には鐘楼が建立されて梵鐘が初鋳された[1]。宝暦10年(1760年)、6世吟竜の代に本堂を建立した[3]。
寛政5年(1793年)、7世珉竜の代に玄関・書院・山門・鐘楼を建立した[1][3]。文化6年(1809年)、8世連竜の代に輪蔵を内備した経堂を建立した[1][3]。万延年間(1860年~1861年)、10世徳竜の代に太鼓堂を建立した[3]。
近代・現代
1879年(明治12年)には庫裏が建立された[1]。
太平洋戦争中には名古屋市立杉村小学校の児童が碧海郡高岡村に学童疎開し、徳念寺は分宿の1つとなった[4]。1945年(昭和20年)1月13日に三河地震が起こると、玄関と山門が倒壊して[3]2人の児童が死去した[4]。戦時中には金属類回収令によって梵鐘が供出されたが、1947年(昭和22年)3月に梵鐘を再鋳した[3]。
1952年(昭和27年)5月、高岡町立駒場小学校の旧玄関を移築した[3]。1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風では書院・鐘楼・玄関が損傷したが、これらは1969年(昭和44年)に再建された[1]。1975年(昭和50年)には太鼓楼跡地に住居が建てられた[1]。
境内
- 本堂 - 宝暦10年(1760年)建立。
- 書院
- 庫裏
- 経蔵 - 輪蔵を内包する。
- 鐘楼
- 山門
- マツ
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鐘楼
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梵鐘
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マツ
現地情報
- 所在地
- アクセス
脚注
参考文献
- 『豊田市の寺社建築 2 真宗寺院』豊田市教育委員会、1986年
- 高岡村誌編纂委員会『高岡村誌』高岡村、1956年
- 豊田市文化財保護審議会『豊田の史跡と文化財』豊田市教育委員会、1985年
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