御一家とは? わかりやすく解説

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御一家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 21:38 UTC 版)

御一家(ごいっか)は、足利将軍家の同族の中でも征夷大将軍継承権を有し、室町幕府においては管領と同格もしくは上の家格として扱われた吉良氏渋川氏石橋氏のこと。特に吉良氏は御一家の中でも筆頭に位置づけられて、管領よりも上位に位置づけられていた[1]。なお、石橋・渋川両氏間の家格の上下は確定されなかった[2]


注釈

  1. ^ 谷口によれば、室町時代の武家故実の文献の記述を参考として諸本に多少の異同があるとしながらも、吉良・渋川・石橋の3氏だけではなく、畠山氏・桃井氏・今川氏・斯波氏・石塔氏・一色氏・上野氏・小俣氏・加子氏・新田氏・山名氏・里見氏・仁木氏・細川氏・大舘氏・大島氏・大井田氏・竹林氏・牛沢氏・鳥山氏・堀口氏・一井氏・得河氏・世良田氏・江田氏・荒川氏・田中氏・戸賀崎氏・岩松氏・吉見氏・明石氏が足利一門=「御一家」であったとする。谷口は新田氏とその一族は足利一門であり「新田氏流」というのは『太平記』の影響を受けて後世に創作された概念と捉え、吉見氏は血統上は足利氏の一門とは言い難いが源頼朝の実弟源範頼の子孫であったが故に足利尊氏の頃に一門に加えられたとしている。また、明石氏は琵琶法師明石覚一以外の活動が確認できないため、在俗の武士に同氏の者がいたかは不明とする[3]
  2. ^ 谷口によれば、「御三家」の呼称自体は谷口が徳川御三家を意識したものであるが、吉良・渋川・石橋の3氏を指して「三家」と呼ぶ用法自体は『見聞諸家紋』にあるという[4]
  3. ^ 『看聞日記』応永32年2月28日条には人々が「御代可尽」「将軍代欲尽、諸神已捨給了」と足利将軍家の断絶を噂し、武衛家(斯波氏宗家)が将軍を継ぐとの噂も流れたことも記されている。
  4. ^ かつて吉良氏は引付頭人、渋川氏は九州探題を務めていた経歴があったが、永享期には幕政上の役職には就いていなかった。
  5. ^ 高鳥廉によれば、満詮の血筋を残さないのは義持の方針であったとみられ、満詮は亡くなる際に娘を義持の嫡男義量(後の5代将軍)に嫁がせることを条件に所領を義量に譲ったが、実際に満詮が亡くなると義持は直ちに義持が満詮の娘を無理矢理出家させて義量と離別させたという(『看聞日記』応永25年5月16日条)[10]。また、義持の病が重くなって満済や幕閣が後継者を籤引きで決めることになった際に、義持から「他人の猶子は不可」という意向が示されたことで義持の弟4名から選ばれる方針となったが(『建内記』応永35年正月18日条)、この「他人」とは具体的には満詮流を指したとみられる[11]
  6. ^ 斯波氏は家氏の時代から御家人身分を認められ、室町幕府成立後は極官は兵衛督または衛門督、他氏には禁じられた「足利」号を応永30年前後まで名乗るなど、他の庶子家よりも上位に位置づけられていた[15]
  7. ^ 今川氏宗家(駿河今川氏)から吉良氏継承の事例は生じなかったが、関東吉良氏は今川氏庶流の堀越氏(遠江今川氏)から養子(吉良氏朝)を迎えている。

出典

  1. ^ 谷口、2019年、P117.
  2. ^ 谷口、2019年、P134.
  3. ^ 谷口、2019年、P184-193.
  4. ^ 谷口、2019年、P181・209.
  5. ^ 谷口、2019年、P180-182.
  6. ^ 谷口、2019年、P116-117.
  7. ^ 谷口、2019年、P118-123.
  8. ^ 文献的な初出は『師郷記』康正2年5月28日条である。
  9. ^ 谷口、2019年、P126-128・130.
  10. ^ 高鳥廉「室町前期における足利満詮流の政治的地位」(初出:『日本歴史』827号、2017年)/所収:高鳥『足利将軍家の政治秩序と寺院』(吉川弘文館、2022年) ISBN 978-4-642-02976-6)2022年、P97.
  11. ^ 高鳥廉「足利将軍家子弟・室町殿猶子寺院入室とその意義-室町殿と寺院・公家社会との関係を探る-」(初出:『史学雑誌』130編9号、2021年)/改題所収:「室町前期における足利将軍家出身僧の身分と役割」『足利将軍家の政治秩序と寺院』(吉川弘文館、2022年) ISBN 978-4-642-02976-6)2022年、P41-42.
  12. ^ 木下聡「室町幕府の秩序編成と武家社会」(初出:『歴史学研究』924号(2014年)/所収:木下『室町幕府の外様衆と奉公衆』(同成社、2018年) ISBN 978-4-88621-790-5
  13. ^ 谷口、2019年、P130.
  14. ^ 谷口、2019年、P128.
  15. ^ 谷口、2019年、P121・123-124.
  16. ^ 谷口、2019年、P126-129.
  17. ^ 谷口、2019年、P128・130-131.
  18. ^ 谷口、2019年、P129-130.


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