後藤陽一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 後藤陽一の意味・解説 

後藤陽一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 08:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

後藤 陽一(ごとう よういち、1913年11月2日 - 2002年3月17日[1])は、日本歴史学者。専門は日本近世史。広島大学名誉教授、広島修道大学名誉教授。

経歴

大正2年(1913年)、熊本県に生まれる。昭和12年(1937年)、広島文理科大学を卒業。昭和15年(1940年)から1年間は旧制崇徳中学校歴史科嘱託教員。昭和18年(1943年)からは広島県立広島女子専門学校教授。昭和23年(1948年)から広島文理科大学助教授を務めた。昭和29年(1954年)から新制広島大学教養部教授。昭和49年(1974年)から昭和52年(1977年)まで広島大学大学総合科学部教授を務める。その後は、平成元年(1989年)まで広島修道大学教授を務める。平成14年(2002年)3月17日、急性肺炎のため死去。

主な著書

  • 『広島県の歴史』山川出版社、1978 年
  • 後藤陽一・友枝 龍太郎校注『日本思想史大系 30 熊沢蕃山』岩波書店、1971年
  • 『安芸国土井家作帳の研究』広島近世史研究会、1977年
  • 『近世村落の社会史的研究』渓水社、1982年

主な論文

  • 「近世思想史上に於ける実学的思惟-熊沢蕃山の時処位論について」『史学研究』45号、1951年
  • 「瀬戸内海地域に於ける近世村落の形成」『史学研究』47号、1952年
  • 「一九世紀山陽筋農村における富農経営の性格」『史学雑誌』63(7)、1954年
  • 「封建権力と村落構成」(社会経済史学会編『封建領主制の確立』有斐閣、1957年)
  • 「役家体制」『日本歴史』200号、1965年
  • 「近世の身分制と社会」(朝尾直弘編『岩波講座日本歴史 9 近世』岩波書店、1975年)

脚注

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、439頁。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「後藤陽一」の関連用語

後藤陽一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



後藤陽一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの後藤陽一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS