庇仁郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/03 09:35 UTC 版)
庇仁郡(ピインぐん、비인군)は現在の韓国忠清南道舒川郡西部にあった行政区域。
歴史
本来百済の比象県であったが、757年(景徳王16年)庇仁に直されて西林郡(現在の舒川郡)の属県とし、1018年(顕宗9年)嘉林県(現在の林川)に属して後に監務を置いた。1413年(太宗13年)県監を置き、1895年(高宗32年)昇格して郡となり、1914年の行政区域改編の際、舒川郡に合わせて庇仁面となった。
ここは朝鮮時代に海上交通と軍事上で重要な場所だった。全羅道・慶尚道地方の税穀船が通る交通の要地であり、1655年(孝宗6年)藍浦の広巌にあった馬梁鎮をここの都頓串に移し、水軍僉節制使を置いた。ここには常備軍である留防軍があった。
英祖の時はここに済民倉を設置し、3万石の米を備えた。1419年(世宗元年)5月、50余隻の倭船が庇仁県都豆音串を侵攻して庇仁城を包囲したが、朝廷が大規模な兵力を出動して倭寇を撃退させた[1]。
1914年以降
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統廃合前 統廃合後(舒川郡) 旧行政区域 新行政区域 庇仁郡郡内面 庇仁面 선도리、성내리、성북리、칠지리 庇仁郡北面 구복리、남당리、성산리、율리 庇仁郡一方面 관리、다사리、장포리 鍾川面 당정리、랑평리、신검리、장구리、종천리 庇仁郡二方面 도만리、산천리、석촌리、지석리、화산리、흥림리 庇仁郡東面 東面 마대리、만덕리、문곡리、복대리、상좌리、수성리、심동리、우라리、저산리、판교리、현암리、후동리 庇仁郡西面 西面 개야리、부사리、원두리、월호리、주항리、월리、신합리、마량리、도둔리
脚注
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