広江八重桜とは? わかりやすく解説

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広江八重桜

直治明治12年(1879)島根県生。碧梧桐門。昭和20年1945)歿、67才。

広江八重桜

広江八重桜の俳句

五分保つ苗代水も夏近し
出入る水苗代青くなりまさる
 

広江八重桜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 13:38 UTC 版)

広江八重桜(ひろえやえざくら、1879年明治12年3月11日 - 1945年昭和20年10月8日)は、日本の俳人

経歴

島根県能義郡赤江村大字中津(現・安来市東中津町)に生まれる[1]

本名・直治。蚕豆庵(さんとうあん)と号した。当時の大地主である広江忠四郎の長男。夫人コノとの間に二男二女がある。晩年に村内に郵便局を開設したが、すべて次男まかせであったという。

俳句は中学二年頃からはじめ、大谷繞石の指導する碧雲会に参加、正岡子規選の『日本』俳壇や『ホトトギス』に投句。非常な多作家で、子規は「八重桜を以って第一の多作者となす。一季優に千句を下らざるもの数年」と評した。

のち河東碧梧桐に師事、新傾向俳句を詠み「海紅」の選者も務めたが、中塚一碧楼の義弟、中塚響也と「渚」を創刊後は定型に戻った[1]

研究

筑摩書房の現代日本文学全集の『広江八重桜集』は、八重桜の弟子で、後に『石楠』の最高幹部となった福島小蕾がまとめたものである。島根大学名誉教授、伊沢元美編の『島根文学地図』(昭和43年3月15日、今井書店刊)には、八重桜がくわしく紹介されている。俳誌『出雲』主宰、桑原視草の昭和56年度俳人協会賞(評論部門)を受賞した『出雲俳壇の人々』(昭和56年8月10日、だるま堂書店刊)にも八重桜は紹介されている。

作品集としては、『続春夏秋冬』と『日本俳句鈔』第一集から、まとめて『俳諧雑誌』(大八・三)に載せられた『八重桜句鈔』と『現代日本文学全集九一・現代俳句集』(筑摩版)に収められているものがあるが、句集はない。

俳風

俳風は、新傾向運動の初期の、写生を徹底しようとした時期の特色を持続し、景の中の一点、一ヶ所を鋭くみつめるゆき方をとっており、意味も他の新傾向俳人よりは明らかなものが多い[2]

彼女踏めばこの庭萌ゆる雪淡し

雪天に欠伸をするや檻の鷲

脚注

  1. ^ a b 日外アソシエーツ『20世紀日本人名事典』、2004年。
  2. ^ 広江八重桜と山陰の明治俳人、1992年、40頁。

参考文献

日野雅之著『広江八重桜と山陰の明治俳人』よなごプレス社、1992年、39、40、41、42頁。




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