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平澤繁太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 16:00 UTC 版)

平澤繁太郎

平澤 繁太郎(ひらさわ しげたろう、慶応4年3月7日1868年3月30日[1] - 大正15年(1926年11月15日[2][3]は、日本の薬学者発明家。イヒチオールを発明した。

経歴

信濃国伊那郡長野県上伊那郡)出身[3]名古屋豊橋などの商店に奉公した後上京し、同郷出身の橋爪医師の書生となり、勉学に励み薬剤師の試験に合格した[3]。その後、東京薬学校大学専科などに学び、岡山衛生試験場技師となり、岡山医学校教師を兼ねた[3]。その後、東京高等工業学校の助教授となり、明治39年(1906年)に辞職した[3]

東京高等工業学校在職中に廃棄硫酸の利用研究中にイヒチオールを発見した[3]

大正15年(1926年)11月に根津にあった自邸にて病死した[3]

特許

出典

  1. ^ 『東京府市自治大鑑』(東京府市政通信社、1926年)p.252
  2. ^ 『日本薬報』第22号(日本薬報社、1926年12月)p.31
  3. ^ a b c d e f g 大阪発明協会 編『帝国発明家名鑑』日刊工業新聞出版部、1937年、406頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1207646/1/570 



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