平林伊三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/25 00:36 UTC 版)
平林伊三郎
ひらばやし いさお
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生年月日 | 1937年7月18日 |
出生地 | 長野県南安曇郡穂高町 |
没年月日 | 2025年5月17日(87歳没) |
死没地 | 長野県安曇野市 |
出身校 | 早稲田大学法学部 |
前職 | 穂高町長 |
称号 | 従五位 旭日小綬章 |
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当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2005年10月23日[1] - 2009年10月22日[1] |
長野県穂高町長
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当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1994年12月15日 - 2005年9月30日 |
平林 伊三郎(ひらばやし いさお、1937年7月18日[2] - 2025年5月17日)は、日本の政治家。長野県安曇野市長(1期)。穂高町長(3期)。
長野県南安曇郡穂高町生まれ。早稲田大学法学部卒業。1994年に穂高町長に初当選し、3期を務める。平成の大合併においては、同郡豊科町、堀金村・三郷村および東筑摩郡明科町との合併を推進し、人口約10万人の安曇野市を実現し、初代市長を務めた。
旧陸軍中将の平林盛人は父。日系アメリカ人社会学者のゴードン・ヒラバヤシは親戚にあたる[4]。
2025年5月17日午前9時14分、安曇野市内の病院で死去した[5]。87歳没。死没日付をもって従五位に叙された[6]。
脚注
- ^ a b あづみの将来都市像
- ^ 「安曇野市長平林伊三郎さんに聞く」『Domestic Pubic Relations A to Z』2008年9月、84頁。
- ^ 『官報』号外96号、平成26年4月30日
- ^ 高坂邦彦 筐底拾遺 新聞掲載コラム 17年度
- ^ “安曇野市の初代市長が死去 平林伊三郎さん 87歳|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト”. 信濃毎日新聞デジタル (2025年5月19日). 2025年5月19日閲覧。
- ^ 『官報』第1493号7頁 令和7年6月25日
参考文献
- 「長野県人物・人材情報リスト 2019第1巻」日外アソシエーツ
- 平林伊三郎のページへのリンク