川上村_(愛媛県西宇和郡)とは? わかりやすく解説

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川上村 (愛媛県西宇和郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 00:44 UTC 版)

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かわかみむら
川上村
廃止日 1955年2月1日
廃止理由 編入合併
川上村真穴村双岩村日土村八幡浜市
現在の自治体 八幡浜市
廃止時点のデータ
日本
地方 四国地方
中国・四国地方
都道府県 愛媛県
西宇和郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 八幡浜市双岩村真穴村
川上村役場
所在地 愛媛県西宇和郡川上村大字川名津字新屋敷
座標 北緯33度25分21秒 東経132度24分26秒 / 北緯33.42256度 東経132.40728度 / 33.42256; 132.40728 (川上村)座標: 北緯33度25分21秒 東経132度24分26秒 / 北緯33.42256度 東経132.40728度 / 33.42256; 132.40728 (川上村)
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川上村(かわかみむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県西宇和郡にあったである。

現在の八幡浜市の南部、宇和海に面した農村であった。昭和の合併で八幡浜市の一部となり、現在に至っている。

地理

現在の八幡浜市の南部。宇和海に面しているが、庄崎と岡の鼻を境に東に深く切れ込んで川上湾を形成し、湾奥に川名津、上泊、白石の3つの集落がある。北は八幡浜市に、南は真穴村に、東は双岩村に接している。湾最奥の川名津集落にはわずかに平地があるが、他の集落は海岸線に沿って家屋が建ち並ぶ。背後の山々は300m未満であり、急峻ではなくかんきつ類栽培に適している。

地名の由来
明治の合併時に名津浦と泊浦とが合体し、両浦名を一字ずつとった合成地名

歴史

藩政期

  • 宇和島藩領。
    宇和島藩に入った伊達家は当初藩内を17の郷に分け統治したが、当村の前身である2つの浦は「保内郷」に属すものとされた。
  • 1696年(元禄9年) - 宇和島藩と吉田藩との交換により吉田藩領となる。

明治以降

  • 1889年(明治22年)12月15日 - 明治の町村制・市制施行時に、川名津浦と上泊浦との合併により川上村となる。
  • 1900年(明治33年) - この頃から北米大陸への渡航者が相次ぐ。(一部は密航)
  • 1901年(明治34年) - ウンシュウミカンが導入される
  • 1908年(明治41年) - 郵便局開局
  • 1911年(明治44年) - 矢野義弘らが打瀬船(うたせぶね)にて渡米(密航)
  • 1914年(大正3年) - 萩森音治郎ら小型船で渡米(密航)
  • 昭和初期に製糸及び織布工場が操業のピークを迎えた。
  • 1933年(昭和8年) - 柑橘出荷組合設立
  • 1948年(昭和23年) - 太平洋戦争後ウンシュウミカン栽培が主力となり、23年、25年、27年と全国果実品評会で立て続けに農林大臣賞を受賞するなど、愛媛のミカン栽培をリードした産地の一つに上り詰めた。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 真穴村双岩村日土村の3村とともに八幡浜市の一部となる。当村域は「八幡浜市川上町」と呼ばれることとなった。
川上村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)
            町村制施行時
日土   ━━━┓
        ┣━━ 川上村 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
日土   ━━━┛                              ┃
            八幡浜町  ━━┳━━━━┳八幡浜市 ━━━━━━━━┃
            矢野崎村  ━━┛a      ┃(昭和10年2月11日    ┣━八幡浜市
            千丈村  ━━━━━━━━┫ 、合併、市制)     ┃(昭和30年2月1日)
            神山村    ━━━神山町b━┫             ┃
            舌田村    ━━━━━━━━┛             ┃
            日土村    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
            真穴村    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
            双岩村    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
                                 大字和泉及び布喜川の一部
                                 三瓶町へ(昭和30年2月1日)

a 昭和5年1月1日、b 昭和3年7月1日町制施行
(注記)八幡浜町ほかの合併前の系譜、及び平成の合併の系譜については、それぞれの記事を参照のこと。

地域

明治の合併前の浦である、川名津(かわなづ)、上泊(かみどまり)が大字となり、後に上泊から大字白石(しらいし)が分離した。

行政

役場
大字川名津におかれていた。

産業

農業
明治以降養蚕が盛んで、昭和に入りウンシュウミカンが導入され、太平洋戦争後、銘柄産地の一つにまで上り詰めた。
工業
明治末期から当村とその周囲には地元資本及び近江帆布・鐘紡などの県外資本による繊維工場が多数立地した。当村でも、昭和初期には、製糸工場3、織布工場3が操業していた。

交通

鉄道は通っていなかった(現在も同じ)。

海岸線に沿った道路が当時も現在も八幡浜市街と結ぶ交通ルートである。(愛媛県道28号を経て、現在の国道378号

関連項目




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