嵐三右衛門_(11代目)とは? わかりやすく解説

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嵐三右衛門 (11代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 07:55 UTC 版)

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称十代目 嵐三右衞門(しょう じゅうだいめ あらし さんえもん、新字体:〜衛門、1906年(明治39年)10月23日 - 1980年(昭和55年)7月17日)は関西の歌舞伎役者。屋号は津の國屋定紋八角小の字替紋橘の三重ね。本名は大川 實(おおかわ みのる)。十一代目 嵐三右衞門(じゅういちだいめ あらしさんえもん)としても知られる。

大阪生まれ。はじめ三代目中村梅玉門人で、明治45年(1912年)大阪浪花座で中村福萬壽を名乗って初舞台。昭和4年(1929年)、大阪中座『二人袴』の雛鶴で七代目中村駒之助を襲名。昭和23年(1948年)正月大阪中座復興杮落しの『雪女五枚羽子板』で大名跡・嵐三右衛門を襲名した。三右衛門代々としては「十一代目」のはずなのだが、本人は一貫して「十代目」を称してはばからなかった。

立派な風貌で人気を集めていたが、関西歌舞伎が衰退する中、昭和29年(1954年)宝塚新芸座に移籍、大衆演劇の世界に入る。ここでは座頭として活躍。桂春坊(二代目露の五郎兵衛)笑福亭松之助ら若手落語家と舞台をともにしたこともある。

昭和33年(1958年)には宝塚映画に参加。その後歌舞伎の舞台に復帰した。主に二代目中村鴈治郎の相方を勤め、『心中天網島・河庄』の太兵衛や『梶原平三誉石切』(石切梶原)の呑助などの脇役が好評だったが、往年の精彩はなかった。




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