崔仁_(軍人)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 崔仁_(軍人)の意味・解説 

崔仁 (軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 17:24 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
崔仁
生誕 1911年
日本統治下朝鮮平安北道
死没 没年不明
所属組織 中国人民解放軍
朝鮮人民軍
最終階級 陸軍中将(朝鮮人民軍)
テンプレートを表示
崔仁
各種表記
ハングル 최인
発音 チェ・イン
日本語読み: さい じん
ローマ字 Ch'oe In
テンプレートを表示

崔 仁(チェ・イン)は朝鮮民主主義人民共和国軍人延安派に所属。中国名は王子仁

経歴

1911年、平安北道に生まれる。

1933年7月、中央陸軍軍官学校第10期に入学。第1総隊歩兵大隊第4隊配属[1]。1936年6月、卒業。

日中戦争が勃発すると朝鮮義勇隊に加わる。1941年春、朝鮮義勇隊華北支隊第3隊長として順徳一帯で抗日運動。

1942年に朝鮮義勇隊が朝鮮義勇軍に改編され華北支隊第3隊長として晋冀魯豫辺区で抗日運動。

1945年2月、朝鮮革命軍政学校第2区隊長。

第2次世界大戦終戦後は各地に分散した朝鮮義勇軍の隊員を率いて中国東北に進出し、朝鮮義勇軍第1支隊副支隊長。

1946年2月、東北民主連軍李紅光支隊副支隊長。支隊長の金雄が帰国すると、後任として支隊長に就任。同年12月に李紅光支隊が独立第4師に改編されると師長に就任。

1948年、北朝鮮に帰国。最高人民会議第1期代議員。民族保衛省副総参謀長[2][† 1]

1950年、第2軍団参謀長[2][† 2]

1951年、第6軍団参謀長、同軍団長。

1952年5月、機械化司令部参謀長。

1954年7月、民主青年同盟中央委員会体育指導部長。

1960年、内閣情報局長。

出典と脚注

出典

  1. ^ 中国黄埔軍校網. “南京本校第十期歩兵大隊第四隊学員姓名籍貫表” (中国語). 2016年3月26日閲覧。
  2. ^ a b 朱栄福. 朝鮮戦争の真実 

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 文献によっては崔仁ではなく崔麟としている場合がある。
  2. ^ 文献によっては第7師団長としている場合がある。

参考

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「崔仁_(軍人)」の関連用語

崔仁_(軍人)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



崔仁_(軍人)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの崔仁 (軍人) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS