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山野平一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/17 15:32 UTC 版)

山野平一

山野 平一(やまの ひらかず、1887年明治20年〉8月4日[1] - 1971年昭和46年〉12月31日[2])は、大正から昭和期の実業家政治家衆議院議員

経歴

大阪府[2]、現在の大阪市[3]で山野助四郎の三男として生まれる[4]。1905年(明治38年)大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業[2][3]。1914年(大正3年)家督を相続した[4]

実業界では、都島商事社長、大阪地下街監査役などを務めた[2][4]

政界では、大阪市会議員、同副議長を務めた[2][3][4]。その他、都島警防団長、都島教育会長、帝国在郷軍人会都島分会顧問、軍事援護会北区連合会理事長、大政翼賛会大阪支部常務委員、借家借地調停委員、北区町会連合会長、都島簡易裁判所調停委員、大阪調停協会長、大阪市社会福祉協議会副会長などを務めた[2][3]

1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け大阪府第3区から出馬して当選した[2][3]。この間、翼政会政調商工・海軍兼務委員などを務めた[3]。戦後、無所属倶楽部に所属し[2]、その後公職追放となった[5]

脚注

  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、4頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』689頁。
  3. ^ a b c d e f 『翼賛議員銘鑑』444頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ヤ131頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿744頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。

参考文献

  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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