山田家住宅 (出雲市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/31 14:10 UTC 版)
山田家住宅 | |
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所在地 | 島根県出雲市大津町570(非現存) |
位置 | 北緯35度22分08秒 東経132度46分46秒 / 北緯35.36889度 東経132.77944度座標: 北緯35度22分08秒 東経132度46分46秒 / 北緯35.36889度 東経132.77944度 |
類型 | 本陣 |
形式・構造 | 瓦葺切妻、土蔵造り |
建築年 | 宝暦初年 |
文化財 | 出雲市指定文化財(解除済) |
山田家住宅(やまだけじゅうたく)はかつて島根県出雲市に存在した古民家。出雲市指定文化財に指定されていたものの、2024年に所有者によって解体された。
概要
島根県出雲市大津町に所在した松江藩の本陣遺構で、1958年頃にはその南寄りの一部が山田美治宅として使用されていた[1][注釈 1]。山田家は寛文年間に石見国出羽(現・島根県邑智郡邑南町)から出て七面山(現・出雲市大津町内)に居住したが、宝暦初年に松江藩の作事大工によって新築移転された[3][4]。この移転の際[注釈 2]に接待用の施設が増築され、松江藩主が出雲大社に参詣するときの本陣として使用できるようになった[4]。
御成門から飛石伝いに土縁を経て座敷に達する配置は、「出雲式」と称される様式で、出雲市平田町の木佐家本陣などとも共通する[1][3]。また、上の間の床が庭に対して正面に配される点や、臼庭の小屋組に特徴があるという[5][3]。
1960年12月21日、「本陣遺構」として出雲市指定文化財に指定された[5][6]。21世紀には2007年ごろ[注釈 3]と2014年の少なくとも2回の公開が行われている[7]。しかし、2024年に所有者によって解体されたことが判明し[8]、これに伴い文化財指定は解除された[8][9]。
松江藩の領内本陣について
上述のとおり、山田家住宅は松江藩の本陣として利用された。ただしここでいう「本陣」とは、参勤交代の際に用いられる街道沿いの宿所を指す一般的な「本陣」ではなく、松江藩主の御出郷(国内巡察)の際に不定期に利用した宿舎のことである[10][11]。
出郷の目的は杵築大社・日御碕神社への参詣、鷹狩り、紅葉狩り、領内の視察、領民との接触などがあった[12][13]。出郷の際には藩主が宿泊する本陣の用意について事前に御側役からの指示があったほか、随行者や百姓にそれぞれ当日の注意が伝えられ、通行の規制もあった[14]。一般の領民はひれ伏すことになるなかで有力な人物は藩主へのお目見えが許されるという形で、出郷は身分秩序を表示する機会でもあり[15]、本陣をつとめる主人はお目見えを許され町はずれから本陣まで藩主を先導する役を任される栄誉を得た[13]。一方、本陣をつとめるには相当の経済的負担が強いられた[16]。
藩主の宿泊には藩が所有する御茶屋が用いられることもあったが、御茶屋の所在する町であっても本陣を利用する場合もあった[10]。本陣が設定されると、番所と万屋という臨時の施設が設置された[17]。番所は本陣のある道筋の前後に設置されるもので、藩の足軽や地元の人が番人として立って警備するための施設である[17]。万屋は出郷の随行者のための食器・塩・味噌・薪・水などの供給、村々による人馬の手配の指示、本陣で使用する草履の運搬などを取り仕切る役割を担った[18]。本陣には藩主専用の御成門が設けられ[注釈 4]、藩主はそこから駕籠で庭園[注釈 5]を通り、飛石を渡って書院上の間に入った[20]。一部を除く随行者は下宿や下陣と呼ばれる本陣以外の家々に宿泊した[21]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 川島&小林 1958, p. 73.
- ^ 岩本&中尾 1971, pp. 293–294.
- ^ a b c 日建協 1962, p. 66.
- ^ a b 尾添他編 1982, pp. 884–885.
- ^ a b c d 藤間 2009, p. 32.
- ^ 出雲市指定文化財一覧 2023.
- ^ a b 出雲弥生の森博物館 2014.
- ^ a b 山陰中央新報 2024.
- ^ 出雲市指定文化財一覧 2025.
- ^ a b 小林 2006, p. 3.
- ^ 藤間 2009, p. 5.
- ^ 小林 2006, p. 1.
- ^ a b 藤間 2009, p. 6.
- ^ 小林 2006, pp. 3–8.
- ^ 小林 2006, p. 9.
- ^ 小林 2006, pp. 48–52.
- ^ a b 小林 2006, p. 12.
- ^ 小林 2006, pp. 13–14.
- ^ 藤間 2009, p. 7.
- ^ 藤間 2009, pp. 6–7.
- ^ 小林 2006, p. 25.
参考文献
- 尾添茂、永田滋史、原宏一 編『出雲市四十年誌』出雲市、1982年 。
- 岩本正吉、中尾鉱『島根の人物農協史』島根県農協史編纂委員会・家の光出版サービス、1971年 。
- 川島宙次、小林清「美しき民家25:出雲の町家と本陣」『新住宅:brains & works for urban life』第13巻12月号、1958年、69-76頁。
- 小林准士『お殿様の御成り:近世松江藩主と本陣』松江市教育委員会〈松江市ふるさと文庫1〉、2008年。
- 藤間亨『格式と伝統 出雲の御本陣』出雲市〈出雲市民文庫19〉、2009年。
- 日本建築協会創立45年記念出版委員会 編『ふるさとのすまい:日本民家集』(2版)日本建築協会、1962年 。
- “文化財本陣 所有者が解体 出雲「山田家住宅」 市条例に罰則なし”. 山陰中央新報デジタル (2024年). 2025年2月9日閲覧。
- “市指定文化財「山田本陣遺構(やまだほんじんいこう)」を一般公開します。 - 出雲弥生の森通信” (2014年). 2025年2月9日閲覧。
- “出雲市指定文化財一覧(令和5年8月25日現在)”. 出雲市. 2023年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月21日閲覧。
- “出雲市指定文化財一覧(令和7年3月26日現在)”. 出雲市. 2025年5月21日閲覧。
関連項目
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