楠目城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 楠目城の意味・解説 

楠目城

(山田城_(土佐国) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 04:33 UTC 版)

楠目城
高知県
別名 山田城
城郭構造 平山城
築城主 山田氏
築城年 不明
主な城主 山田氏長宗我部氏
廃城年 不明
遺構 郭・堀・土塁
指定文化財 香美市指定史跡「楠目城」
再建造物 なし
位置 北緯33度36分50.6秒 東経133度42分06.5秒 / 北緯33.614056度 東経133.701806度 / 33.614056; 133.701806座標: 北緯33度36分50.6秒 東経133度42分06.5秒 / 北緯33.614056度 東経133.701806度 / 33.614056; 133.701806
地図
楠目城
テンプレートを表示

楠目城(くずめじょう)は、土佐国、現在の高知県香美市土佐山田町楠目字楠目にあった中世日本の城。別名・山田城。「楠目城跡」として香美市指定史跡[1]

概要

楠目城は城山(標高122.3メートル)の山頂に位置している。山頂に詰の段を構えている。土佐山田氏の居城として知られるが、築城者も築城年も不明である。

歴史

築城起源は不明。鎌倉時代に中原氏による築城ともいわれているが、定かではない。土佐山田氏は鎌倉時代、宗我・深淵郷の地頭職であった、中原氏の子孫といわれている。香宗我部氏と同族である。

永正5年(1508年)、本山養明らとともに岡豊城長宗我部兼序を討つ。

天文18年(1549年)、長宗我部国親は山田城攻略を行う。城主の山田元義は国親によって放逐され、山田城は落城した。

遺構

  • 城山詰の段、北面の土塁
  • 二の段の南下方に2つの段があるが、開墾した際に破壊されているが、その下、二の段下から西方の茶ヶ森にかけて幅2-6メートルの堀がある。
  • 詰の段下に北方からの攻撃に備えたものとみられる堀がある。落差10メートル。最大幅は6メートル。

交通

脚注

  1. ^ 「楠目城跡」香美市公式HP

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「楠目城」の関連用語

楠目城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



楠目城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの楠目城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS