山崎猛 (彫刻家)とは? わかりやすく解説

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山崎猛 (彫刻家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/01 14:39 UTC 版)

山崎 猛(やまざき たけし、1930年昭和5年)3月5日[1] - 1998年平成10年)8月3日[1])は、茨城県高萩市出身の彫刻家茨城大学名誉教授。美術団体「一陽会」の常任委員も勤めた。

来歴

茨城県立日立第一高等学校、茨城大学教育学部美術科を卒業。

1971年にローマへ留学。蝋型によるブロンズ鋳造の技法を学ぶ。

初期の名作「通りゃんせの像」(1960年)は、北茨城市磯原の二ツ島公園に設置されている。また、1966年に旧・茨城県章のデザイン補正を行ったほか[2]、高萩市制20周年記念の彫刻「愛の賛歌」(1974年)、水戸市制100周年記念の彫刻「常陸山」(1989年)などを制作。

特に生地である茨城県高萩市内には、市内各所に彼のブロンズ像約35点、石膏原型10点が設置されている。

略年譜

  • 1930年(昭和5年) 高萩市秋山に生まれる。
  • 1942年 12歳 高萩市立秋山小学校卒業。
  • 1954年 24歳 茨城大学教育学部美術科を卒業し、高萩中学校教師。
  • 1960年 30歳 秋山中学校へ教師。「通りゃんせの像」を北茨城市二ツ島公園に制作。
  • 1963年 33歳 秋山中学校を退職し、茨城大学教育学部助手となる。翌年東海村へ。
  • 1966年 36歳 茨城県章(旧)のデザイン補正。
  • 1971年 41歳 イタリア政府奨学金留学生としてローマ留学。ペリクレ・ファッツーニ教授に師事し、蝋形手法学ぶ。
  • 1974年 44歳 高萩市制20周年記念の「愛の賛歌」を制作。
  • 1978年 48歳 茨城大学教授となる。
  • 1989年 59歳 水戸市制100周年記念の「常陸山」を制作
  • 1995年 65歳 茨城大学名誉教授となる。
  • 1998年 68歳 没

受賞歴

  • 1979年、第25回 一陽展でオペリスク賞を受賞。
  • 1984年、第3回 高村光太郎大賞展で美ヶ原高原美術館賞を受賞。
  • 1986年、第1回 ロダン大賞展で特別優秀賞を受賞。
  • 1987年、第2回 現代日本具象彫刻展で大賞を受賞。
  • 1988年、第2回 ロダン大賞展で優秀賞を受賞。
  • 1996年、第32回 天心記念茨城賞を受賞。

著作

  • 蝋型ブロンズ その技法と教材化(茨城新聞社)

脚注

  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1137頁。
  2. ^ 旧県章のデザイン自体は1911年に公募で採用されたものが長らく慣例的に使用されていた。



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