小田友重とは? わかりやすく解説

小田友重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 14:50 UTC 版)

小田 友重(おだ ともしげ、天正14年(1586年) - 寛永15年(1638年))は、戦国時代から江戸時代常陸国武将小田氏の一族で、小田氏治の庶長子小田友治(八田左近)の次男。豊臣秀頼家臣であった義治の弟。通称は太郎左衛門。喜太郎。

後北条氏家臣の宇都宮為明の養子であったらしい。小田原落城後は不明。

関ヶ原の戦いに際しては徳永寿昌の陣を借り、その後は親戚の縁を頼りに松平定勝の客分となり、どうにか小田氏の家を復興させようと努力する。元和3年(1617年)に自身が名族・小田氏の嫡流であることを主張する「書状草案」を幕府に提出し、身を立てようとしたが叶わず、寛永15年(1638年)美濃にて死去した。享年53。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小田友重」の関連用語

1
小田知重 百科事典
8% |||||

小田友重のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小田友重のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小田友重 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS