封戸村とは? わかりやすく解説

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封戸村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 16:04 UTC 版)

ふべむら
封戸村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 分割新設編入合併
宇佐町、北馬城村封戸村(一部)→ 宇佐町
封戸村(一部) → 豊後高田市
現在の自治体 宇佐市、豊後高田市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
宇佐郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,270
国勢調査、1950年)
隣接自治体 和間村、北馬城村、速見郡立石町、豊後高田市
封戸村役場
所在地 大分県宇佐郡封戸村大字青森
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封戸村(ふべむら[1])は、大分県宇佐郡にあった。現在の宇佐市豊後高田市の一部にあたる。

地理

中津平野の東端、藻寄川の下流右岸に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、宇佐郡青森村、東大堀村、横田村、苅宇田村、立石村、西木村、水崎村が合併して村制施行し、封戸村が発足[1][2]。旧村名を継承した青森、東大堀、横田、苅宇田、立石、西木、水崎の7大字を編成[2]
  • 1955年(昭和30年)3月31日、封戸村が二分割され、大字青森、東大堀、横田、苅宇田、立石、西木が宇佐郡宇佐町、北馬城村と合併し宇佐町が存続[1][2]。残りの大字水崎が豊後高田市に編入され廃止[1][2]

地名の由来

宇佐神宮へ施入された封戸に由来[2]

産業

教育

  • 1909年(明治42年)村立農業補修学校開校[2]

脚注

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』701頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 44 大分県』730頁。

参考文献

関連項目




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