寺島裕
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寺島 裕(てらじま ゆたか、1895年12月1日[1] - 1968年7月23日[2])は、昭和初期から昭和の半ばにかけて活躍した日本の考古学者、郷土史家である。別名は悠峰英彦[1]。
寺島 裕
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生誕 | 静岡県 |
死没 | 1968年7月23日 |
職業 | 考古学者、郷土史家 |
経歴
静岡県生まれ[1]。1919年日本大学法学部卒業[1]。在学中から柴田常恵に考古学を学び[1]、武蔵野史蹟会の発足者の一人となる。戦時中に羽入に疎開し、のち伊勢崎に転居。同会は関東史蹟会と改め、会長を務めた。東京都板橋区史編纂主任、東武鉄道沿線史蹟名所総覧編纂主任なども務める[1]。杉山城の史跡としての価値を発見した人物としても知られる[3][4]。
親族
1920年、ジャーナリストでのちに東京都新宿区議会議員になる山根キクと結婚し、四男一女を授かるが長女は幼くして病死する。 1952年に相川考古館の相川徹子と結婚[5]。
著書
- 寺島裕『史蹟の武蔵野を探ねて』新生堂、1936年。国立国会図書館書誌ID:000000923363。
- 寺島裕『行楽と史蹟の武蔵野 「史蹟の武蔵野を探ねて」姉妹編』新生堂、1937年。国立国会図書館書誌ID: 000000713032。
- 寺島裕『史蹟の武州忍町』武蔵野史蹟研究所、1942年。国立国会図書館書誌ID: 000000668587。NDLJP:1043744
- 寺島裕 『行田市金石文集』 行田市役所 1955年
- 寺島裕 編『羽生金石文集成』関東史蹟会、1971年。国立国会図書館書誌ID: 000001213250。
脚注
参考文献
- 伊禮正雄「一つの謎・杉山城址考─寺島裕氏の御魂に献ぐ」『埼玉史談』第16巻第3号、1969年。
外部リンク
- 相川考古館ホームページ - ウェイバックマシン(2008年8月20日アーカイブ分)
- 寺島裕ホームページ - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)
- 寺島裕のページへのリンク