寺島裕とは? わかりやすく解説

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寺島裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 06:19 UTC 版)

寺島 裕(てらじま ゆたか、1895年12月1日[1] - 1968年7月23日[2])は、昭和初期から昭和の半ばにかけて活躍した日本の考古学者郷土史家である。別名は悠峰英彦[1]

寺島 裕
生誕 静岡県
死没 1968年7月23日
職業 考古学者郷土史家
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経歴

静岡県生まれ[1]1919年日本大学法学部卒業[1]。在学中から柴田常恵に考古学を学び[1]、武蔵野史蹟会の発足者の一人となる。戦時中に羽入に疎開し、のち伊勢崎に転居。同会は関東史蹟会と改め、会長を務めた。東京都板橋区史編纂主任、東武鉄道沿線史蹟名所総覧編纂主任なども務める[1]杉山城の史跡としての価値を発見した人物としても知られる[3][4]

親族

1920年、ジャーナリストでのちに東京都新宿区議会議員になる山根キクと結婚し、四男一女を授かるが長女は幼くして病死する。 1952年相川考古館の相川徹子と結婚[5]

著書

脚注

  1. ^ a b c d e f 日本著作権協議会 編『著作権台帳(第5版) 文化人名録 昭和31年版』日本著作権協議会、1956年、597頁。全国書誌番号: 51002056 
  2. ^ 関東史蹟会「寺島会長遂に逝去」『関東の史蹟と文化財』第262号、関東史蹟会、1968年、3頁、国立国会図書館書誌ID: 000000004481 
  3. ^ 「雑報 史蹟杉山城址の碑建立」『武蔵野史談』第2巻第2号、埼玉県郷土文化会、1953年、49-50頁。 
  4. ^ 伊禮正雄 1969
  5. ^ 「個人消息(ゴシツプ) 寺島裕氏(武蔵野史蹟研究会長)」『武蔵野史談』第1巻第1号、埼玉県郷土文化会、1952年、18頁。 

参考文献

  • 伊禮正雄「一つの謎・杉山城址考─寺島裕氏の御魂に献ぐ」『埼玉史談』第16巻第3号、1969年。 

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