富之保村とは? わかりやすく解説

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富之保村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 22:07 UTC 版)

とみのほむら
富之保村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 合併
中之保村富之保村下之保村武儀村
現在の自治体 関市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
武儀郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 24.12 km2.
総人口 2,586
(1955年)
富之保村役場
所在地 岐阜県武儀郡富之保村岩2734-4
座標 北緯35度35分04秒 東経137度00分44秒 / 北緯35.58456度 東経137.01219度 / 35.58456; 137.01219座標: 北緯35度35分04秒 東経137度00分44秒 / 北緯35.58456度 東経137.01219度 / 35.58456; 137.01219
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富之保村(とみのほむら)は、かつて岐阜県武儀郡にあったである。

合併で武儀村(1971年に町制施行し、武儀町)となり、現在は関市の一部である。

津保川およびその支流沿いの谷間の村であった。

歴史

  • 江戸時代末期、この地域は尾張藩領、寺社領であった。
  • 明治時代初期、岩山崎村、祖父川村、大洞村、粟野村、町村、武儀倉村、雁曽礼村、宮脇村、川合村、船山村、明ケ島村、行合村、鳥屋市村、が合併し、上之保村となる。旧・岩山崎村、祖父川村、大洞村、粟野村、町村、武儀倉村、雁曽礼村を「下村」、旧・宮脇村、川合村、船山村、明ケ島村、行合村、鳥屋市村を「上村」と称し、上村と下村を合わせて上之保村としていたという。
  • 1874年(明治7年) - 上之保村(下村)[1]と水成山村が合併し、富之保村となる。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により富之保村が発足。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 中之保村下之保村と合併し武儀村となる。

教育

神社・仏閣

脚注

  1. ^ 上之保村(上村)は上之保村として存続。

関連項目




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