宮城県塩釜・養家藤塚家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 06:41 UTC 版)
兄敬太郎は、教育者であった。仕事都合により仙台や塩釜、松島等に家移りしていた。鄰は敬太郎の誘いにより、明治25年(1892)より鹽竈神社祠官であった藤塚家に寄宿した。その後旧制第二高等学校(東北大学)から東京帝国大学支那哲学科に進み明治41年(1908)に卒業。藤塚家に養嗣子入籍した。その時期は明治30年(1897)または39年(1906)と二説伝わっている。養母は藤塚ナヲという名で、実母佐々木ナヲと同名である。藤塚ナヲの夫は養入嗣前に死亡していた。
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