宝幢院 (茨城県城里町)とは? わかりやすく解説

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宝幢院 (茨城県城里町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 01:42 UTC 版)

宝幢院
所在地 茨城県東茨城郡城里町那珂西1958
位置 北緯36度27分29.3秒 東経140度24分32.0秒 / 北緯36.458139度 東経140.408889度 / 36.458139; 140.408889座標: 北緯36度27分29.3秒 東経140度24分32.0秒 / 北緯36.458139度 東経140.408889度 / 36.458139; 140.408889
山号 泉山
院号 宝幢院
宗派 真言宗豊山派
創建年 応安2年(1369年
開山 上宥
文化財 両界曼荼羅、香象、絹本著色両界曼荼羅図、木造大日如来坐像、木造隆三世明王像(以上、城里町指定文化財)
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宝幢院(ほうどういん)は、茨城県東茨城郡城里町にある真言宗豊山派寺院

歴史

1369年応安2年)、上宥によって開山された。その後1636年寛永13年)に水戸藩世子徳川光圀元服の際に当院第16世住職「宥源」は光圀に供奉し、その縁もあって元服で切り落とした光圀の前髪を預かり、祈願寺となった。元々別の地に位置していたが、光圀の援助もあって、現在地に移転し、真言宗の常法檀林となった。そのため、多くの学僧が住んでおり、明治維新までは寺領も300が与えられていた[1]

文化財

  • 両界曼荼羅(城里町指定文化財 昭和57年7月24日指定)[2]
  • 香象(城里町指定文化財 昭和57年7月24日指定)[3]
  • 絹本著色両界曼荼羅図(城里町指定文化財 平成16年5月7日指定)[4]
  • 木造大日如来坐像(城里町指定文化財 平成16年5月7日指定)[5]
  • 木造隆三世明王像(城里町指定文化財 平成16年5月7日指定)[6]

交通アクセス

脚注

  1. ^ プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、48-49p
  2. ^ 両界曼荼羅城里町
  3. ^ 香象城里町
  4. ^ 絹本著色両界曼荼羅図城里町
  5. ^ 木造大日如来坐像城里町
  6. ^ 木造隆三世明王像城里町

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



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