定公 (邾)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/16 02:19 UTC 版)
定公 | |
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邾 | |
公(周制における爵位は子) | |
王朝 | 邾 |
在位期間 | 前614年 - 前573年 |
都城 | 邾 |
姓・諱 | 曹玃且 |
諡号 | 定公 |
没年 | 前573年 |
父 | 文公 |
母 | 斉姜 |
定公(ていこう、? - 紀元前573年)は、春秋時代の邾の君主。姓は曹、諱は玃且。
生涯
邾の文公と斉姜のあいだの子として生まれた[1]。紀元前615年5月、文公が死去すると[2]、翌年に定公は即位した。紀元前591年、鄫の国君を殺した[3]。紀元前589年、楚の子重(公子嬰斉)の取りしきる蜀の会盟に人を派遣した[4]。紀元前578年、晋・斉・魯・宋などの連合軍に人を送って秦を攻撃させた[5]。紀元前576年、晋の厲公を盟主とする戚の会合に人を派遣した[6]。紀元前575年、晋の厲公を盟主とする沙随の会盟に人を派遣した[7]。紀元前573年、定公は死去した[8]。
脚注
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