安養院_(板橋区)とは? わかりやすく解説

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安養院 (板橋区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 08:39 UTC 版)

安養院
所在地 東京都板橋区東新町2-30-23[1]
位置 北緯35度45分15.2秒 東経139度40分46.4秒 / 北緯35.754222度 東経139.679556度 / 35.754222; 139.679556 (安養院 (板橋区))座標: 北緯35度45分15.2秒 東経139度40分46.4秒 / 北緯35.754222度 東経139.679556度 / 35.754222; 139.679556 (安養院 (板橋区))
山号 武王山[2]
宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来[2]
創建年 正嘉元年(1257年
開基 北条時頼
中興年 元禄元年(1688年
中興 祐淳大比丘[2]
別称 寺号:最明寺[2]
札所等 板橋七福神弁才天
文化財 梵鐘(重要美術品)ほか
法人番号 1011405000368
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安養院(あんよういん)は、東京都板橋区東新町にある真言宗豊山派の寺院。山号は武王山。本尊は阿弥陀如来。なお、この寺には、「板橋七福神」のうちの弁才天が祀られている。

歴史

言い伝えによれば、1257年正嘉元年)に北条時頼が持仏の摩利支天を安置したことが起源という。その後の兵乱により灰燼に帰したが、1688年元禄元年)に祐淳大比丘が再興し現在の山寺号に改められたと伝えられる[3]

文化財

  • 重要美術品
    • 梵鐘 - 享和2年(1802年)の鋳造。銘文には元禄2年(1689年)の旧鐘の銘が再録されている。昭和18年(1943年)、旧法に基づく重要美術品に認定された。他に重要美術品の半鐘もあったが、昭和28年(1953年)に盗難に遭っている[4]
  • 板橋区指定有形文化財
    • 紅頗梨色阿弥陀如来坐像[1]
    • 釈迦四面像[1]
  • 板橋区登録有形文化財
    • 安養院文書[5]
  • 板橋区登録天然記念物

脚注

  1. ^ a b c d 板橋区公式ホームページ.
  2. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 上板橋村.
  3. ^ 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年、78-85p
  4. ^ 認定年については、『重要美術品等認定物件目録』(思文閣、1972)による。半鐘の盗難に遭った年は郷土資料レファレンスブックによる。なお、安養院境内の説明札に「昭和24年に重要美術品に指定」とあるのは、「昭和18年に重要美術品に定」の誤りである。
  5. ^ 板橋の文化財一覧.

参考文献

  • 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年
  • 「上板橋村 安養院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ12豊島郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/31 
  • 安養院のご案内”. 板橋区公式ホームページ (2020年1月28日). 2020年10月26日閲覧。
  • 板橋の文化財一覧”. 板橋区公式ホームページ (2020年1月25日). 2020年10月26日閲覧。

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